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土曜日の午後、駅に近い行きつけの店で遅いランチを食べて、
その後スターバックスに駆け込む。


何処でもいいのだけれど、wi-fiが繋がることで
youtubeの音楽が楽しめるからだ。

暫くしてそれにも飽きると、ipadにストックしている曲を聴く。

過去に撮った写真を見直しながら、サイモン&ガーファンクルがイヤホンから流れる。こういう時のコーヒーは少し苦いほうがいい。


店内にいるほとんどの客はパソコンか携帯を凝視している。
時折気になった事柄を検索してみる。
前の検索履歴に思わぬ言葉が出てきて、ひとり苦笑いする。



都会のサナトリウムで習慣ともいえる時間。


ミセス・ロビンソンが聴こえはじめた頃、
窓の外でうっすらと雨が降りはじめた。




 【No.90】未完成  2017/02/13 (Mon)
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完成されていない作品。

それらは私たちの前に現れることは稀だが、
作家によっては数多くの作品が未完で残されている。


ミケランジェロの「ピエタ」は4点が現存しているが、
その中の3点は未完で終わっている。
これは何を意味しているのか。


作家は無論、作品を完成させることに心血を注ぎのぞんでいる。
ただそこには終わりがないというロジックもある。

「未だ何かが足りない、未だ何かを削れる。」
こうした葛藤が続く限り、作品が完成をみることはない。

作品に付きまとう終わりのない旅。
その旅の終わりは作家自身にしか計ることはできない。



私たちの前に残された未完の作品たち。
未完ゆえに表現される戸惑いと強さ。

そこには簡単に読み解くことのできない、
作品自身が放つ本質があるような気がする。




 【No.89】白い世界  2017/02/04 (Sat)
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東京を出てまだ1時間もたたない頃。

ぼんやりとしていた自分の目の前に忽然として白い風景が現れた。
田畑も屋根も林も、遠くに連なる山の峰もみな白い衣に覆われている。

モノクロームに映る現実の世界。


何年も前に冬の北海道で遭遇した風景が蘇る。

それはやがて、あらゆるものを全て白く覆いつくしてしまうかのような、
そんな景色だった。
大きな木立ちの奥にあるのは別の世界かもしれない、そう感じた。
ひとの声、風の音さえも白い吸音材の中へと消えていく。

次の世界への通過点。

あのままカメラを片手に進んでいれば、
もしかしたら別の世界が見えたのかもしれない。



東京にもどり、日常の世界へ。
バスに乗り合わせた子供が手にしていたゲームは、
いとも簡単に次のステージへ進んでいた。




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「おまえは何処に行きたいんだ。」

「おれはこのあと美味いものが食えるなら、何処でもいい。」

「そうか、でもこの地図じゃあわからないな、レストランは載ってない。
 まあいいさ、ともかく街外れがいい。安くて美味い店があるはずだ。」


 もちろん二人の会話が聴こえたわけではない。
 昼時前、私も腹がへり、そんなことを考えていた。





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ドーヴィルへはここから列車にのる。
私自身は行ったことがない。

そういえばクロード・モネはこの駅のホームから絵を描いている。
その頃はまだ蒸気機関車が走っていた。



街行く人々は何かに追われるように足早に去って行く。
仕事の途中なのか、これから目的地まで移動するためだろうか。
空気の冷たさが身をこわばらせるのか、うつ向き加減に前を通り過ぎる。

今日が何日なのか、すぐに浮かんではこなかった。
仕事のこと、それさえも頭をよぎらなかった。

こうしてこの場所に立っていること。
それだけだった。

頭と身体のハードディスクに、この場所の空気が刻みこまれる。
何年か後には、その記憶も引き出せなくなるのかも知れない。

駅から発つ列車のように、この場所から離れる必要があるのは確かだ。


空には、幾筋かの飛行機雲が見えていた。
その日は帰国する何日か前だった気がする。


時間と場所を時折再生する。

午後2時10分 サン・ラザール駅。





 【No.86】境界  2016/12/28 (Wed)
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境界にほど近い一本の道のり。
フェンスや目に見える塀などはない。

パリ市内の境界まではわずかの距離だ。
地図で確認するとパリの境界をしめす太い線が
すぐ近くに記されている。


時折、環状に走る電車が行き過ぎる。
ひとはまばらで静けさが雨上がりの街を包み込む。


繋がる地。

ひとはそれでも境界をつくり、何かを確かめ合う。


テレビでは国の境界を乗り越える難民が映し出される。
受け入れる人たちと、それを拒む人たち。


2016年から2017年へ。
繋がる時間の境界までは間もなくだ。





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サクレクール寺院がある小高い山、パリ モンマルトル。

見晴らしの良さだけでなく、数々の画家たちが住み画題となったことも
人気のひとつだ。


このモンマルトルで働きそこに住むひとたちにとっては、どんな場所なのか。

生活にはこの急斜面が苦になることもあるだろうし、歩き通うには辛い道のりだ。

それでも高台からふと眺める街並みは、自分の歩みを振り返る際に
役立つかもしれない。
恋愛に悩んだとき、家族と別れ辛いとき、これから先の生き方を考えるとき。


遠くを見つめる。こころを打ち明ける。


今日もこの場所に人が集う。
そしてモンマルトルで語りあう人たち。





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フィギュアスケートの競技に「アイスダンス」がある。

シングルの競技ばかりが注目されがちだが、ふとしたきっかけで見たアイスダンス上位ペアの演技に目を奪われた。

ふたりが同時に滑りながら回転するツイズル、頭上高く持ち上げるリフト。
そこにあったのは「舞う彫刻」のようだった。


エドガー・ドガが言った言葉を思い返す。

「踊り子そのものを描こうなどとは、ついぞ考えたことはなかった。
興味は彼女たちの動きを表現することと、美しい衣装を描くことだった。」


写真の世界で動きの表現は、何千分の一秒という最新のカメラをもってすれば動きを止めて撮ることは容易いことだが、それだけではない気がする。

光、感情、ポーズ、アングル、温度、スピード、それらが一体となった対象を捉えなければ、動きの表現には到達しない。


アイスダンスと動きの表現、それには究極のツイズルが必要なのかもしれない。





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セーヌにかかる芸術橋が静けさを向かえる頃、

今日も恋人たちや仲間がそれぞれのひとときを分かち合う。



月のきれいな夜だ。



ひとのシルエットが音符となり、橋は五線譜に。

光景が奏でるアダージョ。



カメラを置いて、私はしばらくその演奏に聴き入っていた。




 【No.82】鳩の家  2016/10/23 (Sun)
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その家はパリ20区、Porte de Montreuil駅にほど近い公園の入口に佇んでいる。
それは決して小さいとは言えない「鳩の家」だ。
しっかりとした作りの箱で、太い一本の柱がこの家を支えている。


幼い頃、自宅で小鳥を飼っていた。
鳥籠の中にシュロで出来た巣を入れていた事を思い出す。
鳥には家が必要なのだ。


さて鳩の家はいつ頃からあったのだろうか。
作りからしてそれほど古いものではないが、そうでないとすれば、作り替えられたものかもしれない。
いずれにしても鳩たちにとって安住の家であることにかわりはない。

ここにも世代交代や争いや家族の温もりがあるのだろうか。
家の中のことは鳩たちにしかわからない。


まだ早い朝のひととき、鳩の家から一羽が飛びたった。
ほかの数羽は全く無関心にくつろいでいる。

外出するものと身動きせず身体を休めるもの。
一見ばらばらに見える鳩たちだが、
日曜日には一緒に教会へ行くのだろうか。





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商店街で育った自分には本屋という存在が身近かだった。
家の隣りが本屋だったからだ。暇さえあれば本屋へ行くという日常で、
幼い頃から自分は相当な時間を本屋で費やした。


インターネットなど無かった時代、本屋で過ごす時間は
夢中になれる時間だった。
立ち読みで文章を読むことはあまり無かったが、
写真や図録を次から次へと見ることは、今にして思うと
いろんなWEBページを見ていくのに近かった気がする。

動物や昆虫、乗り物など好きなものは大体決まっていたが、
気にいった図録があると、同じ本を何度も見ていた。
今では写真に関連した書籍をのぞくことが多い。


パリに行くとよく行く老舗の写真集専門店がある。
ここへ行くと何冊かまとめて買ってしまうので、
毎度、重い荷物を後悔してしまうはめに陥る。


パリで本屋の隣りにあるホテルを探してみようか。





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19世紀末、時代は鉄やガラスの資材が建築家たちを刺激し、ひとつの様式が創り上げられた。

「アール・ヌーヴォー」の旗手、エクトール・ギマールが残した数々の作品。
現存するものは残り少ないが、パリの地下鉄入口にある鉄製のアーチに誰もが一度は目を留めた記憶があるはずだ。


パリ16区にある6階建てのアパートメント「カステル・ベランジェ」はギマール28歳の代表作で、パリ初のアール・ヌーヴォー建築として今もその姿を残している。自然回帰ともいえるその佇まいは、安堵感と共に恐さも併せ持っている。


同じ地区にギマールのアトリエ兼自宅として建てられたHotel Guimardがある。
こちらは石に刻まれた曲線に鉄の植物がアクセントとなり、控えめな装飾に好感がもてる。

その住み心地などは知る由もないが、パリを森に例えて、大きなツリーハウスのようなイメージを想像してしまうのは自分だけだろうか。


この場所でギマール自身がアール・ヌーヴォーにどれほどの夢をみて創作していたのかと考えると感慨深いものがある。





 【No.79】いのち  2016/09/13 (Tue)
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生まれさせられる。
I was born.
それが受動態だと知ったのはまだ十代の頃、吉野弘氏の詩からだった。

自分の意志でこの世に現れたのではないということ。
まわりで共存している動物や植物でさえ、いのちという存在は皆同じだ。
このことを意識せずに、どれだけ日々を過ごしていることだろう。

争い、天災、病。自分の意思とは関係なくいのちが奪われる毎日。
生まれさせられたいくつものいのちが今日も消えていく。


あたえられた、いのちの尊さ。
それは産まれて間もない子馬が無言で教えてくれている。





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パリ リュクサンブール公園。
その昔、ヘミングウェイが腹を空かして鳩を追いかけていた公園だ。

この広大な公園に佇んでいると、人ひとりの小ささが改めて身にしみる。

走る人、休む人、語る人、集う人。
繰り返すことのできない時間をそれぞれが共有している。


数十年前、二度目にパリを訪れたときに泊まったのが、この公園に面した小さなホテルだった。
まだ若かった自分には、公園がさほど広くは感じられなかった。

どこまでも歩いていける、そんな貪欲な気持ちと向上心が大きな網の目となり、
目の前を通り過ぎる些細なことには気づかなかったのかもしれない。

今では通り過ぎる人の表情や近くに咲く花、かすかな風の動きでさえ
眼鏡をかけて見えるように感じられる。


長い時間こうして動かずにいると、公園内にいくつもある彫像になってしまうかもしれない。

これから鳩を追いかけて駆け出してみようか。





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パリ ソルボンヌ広場。
朝まだ早い広場は、静かに時が刻まれる。


柑橘系の果物に似た甘く切ない若かりし頃の記憶。
学生街という場所に魅かれるのは、
そんな中に自分を投影してしまうからなのか。


17世紀から変わらぬ風景は、読みかけの本のように
今日も一頁が読みすすめられていく。




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1972年、パリ市内にヨーロッパで一番高いビルが建てられた。

景観が損なわれるという理由で猛反対にあうも、現在もその姿を誇示している。
「モンパルナスタワー」。モンパルナス駅の上に建てられた高層ビルだ。


全く同じ批判を受けて現在もパリに残る高層建造物がある。
エッフェル塔だ。奇しくも今ではパリの象徴として愛されている。

一方でモンパルナスタワーは愛されているのだろうか。
それはオフィスビルや高層の展望台としての役割を果たしているのは確かだが、
未だに美観と呼ぶには遠い存在というのがパリ市民の本音のようだ。

私自身、左岸で写真撮影をするときには、その大きな外観に嫌気がさしてしまうことがある。


唯一の解決策はこのタワーが画面に入らないように撮ること、
それはこのタワーに登り撮影する事かもしれない。




 【No.75】睡蓮と蓮  2016/06/15 (Wed)
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クロード・モネといえば睡蓮。

パリ オランジュリー美術館には壁面に大作が飾られた「睡蓮の間」がある。
この作品が好きな人には飽きない空間だろう。
モネの住んだジヴェルニーにはこの睡蓮を日々描いた池がある。
日本びいきだったモネはこの池に日本様式の橋も作っている。


一方で私たち日本人に馴染みがあるのは蓮ではないだろうか。
泥の中から清らかな花を咲かせる思想が仏教の教えに似ているということから
蓮は古来から仏教との結びつきがあるとされる。
仏教徒が多い日本では蓮の花に親しみを感じるのが自然かもしれない。

睡蓮の葉は円に切れ込みがあり、葉の色も一様ではない。
蓮の葉は円のかたちのままで色も変化がない。
花は水面から持ち上がって咲くものが多いようだ。


似て非なる睡蓮と蓮。

モネの油彩作品に合致していたのは、やはり睡蓮だったという気がする。


もしモネが日本のお寺から蓮の襖絵を依頼されていたら、
どんな蓮を描いていただろうか。




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温かな陽射しを背にして着飾った人達が前を通り過ぎる。
その日は音楽祭の日だった。


モーツァルトの誕生、サウンド・オブ・ミュージックの舞台、そして音楽祭。
数多くの音楽にまつわる物語がこの地で生まれた。

岩山を背にしたこの街に、どうして音楽という文化がこれほどまで浸透したのか。
それは偶然というだけだろうか。

この地で「音」は山という共鳴板を背にして
美しいサウンドを奏でる。

光の屈折、透明感のある背景の写り込み。
映像もまたファインダーへクリアに導かれる。


この街が奏でる美しさは歴史とこの地に携わった人々の賜物かもしれない。


丸くかたどられたモーツァルトのチョコレート。
在りし日のカラヤンも買って帰っただろうか。


今年もまた遠いザルツブルクに
音楽祭の夏が来る。




 【No.73】Melody   2016/05/13 (Fri)
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1971年に公開された映画《小さな恋のメロディ》。
45年の年月が過ぎた今も、映像と音楽は
記憶の何処かにしまわれている。


風がそよぐようなビージーズの曲「Melody Fair」。
そして主人公を演じるトレーシー・ハイドが
ガラス瓶を手に街を歩くシーンが印象的だ。

手にしている金魚は一度ガラス瓶から放たれて、わずかな時間水場で泳ぎまわる。
そしてまたしばらくすると、もとの瓶にもどされる。

慎ましい生活の中、夢をいだく少女と金魚がリンクする。


映画のなかで語られるセリフがいい。
「行くあてはないけど、ここにはいたくない。」

イギリスらしい何かそこにROCKを感じる言葉に惹きつけられる。


自分自身を解き放つ月。
5月はそんな月かもしれない。




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新緑の清々しい季節に、聴きたくなる一曲がある。
サイモン&ガーファンクルの「Scarborough Fair」。


Parsley, sage, rosemary and thyme


繰り返されるこのフレーズに不思議な魅力を感じる。
古くはスコットランド民謡だったこの曲はハーブのもつ象徴的な意味が
魔除けの言葉として深く根ざしていると言われている。

1967年 映画「卒業」でダスティン・ホフマンが演じた物憂げな表情も懐かしい。


北のブライトンと呼ばれる海岸沿いの地。
イギリス ノース・ヨークシャー州 スカーバラ。

恋人が住んでいると歌われたスカーバラへ。
まだ見ぬ街でのティータイムはハーブティーがいいかもしれない。


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