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パリの街を歩くと無数のアパルトマンに出会う。
それはどの建物も一見同じような表情だが、
一つひとつの雰囲気はどれもわずかに違っている。

建物は1900年前後に建てられたものが多く、
既に100年以上経過しているが、地震などの被害もないことから
そのままの風情が保たれている。



そんな数あるアパルトマンの一群で、外観が際立って美しいと思うのが、
パリ6区ヴァヴァン通り25番地にあるアンリ・ソヴァージュ設計の
アパルトマンだ。


白いタイルが全体を覆い、ブルーのタイルがアクセントになっている。
各階のテラスが階段状に配置されているのも美しさの一因だろう。

現代の建物としてみても、これほどデザイン的にモダンで美しいものは
数少ない。この建物が1913年に存在していたことが俄かに信じがたい。



晴れた冬の日、私はアパルトマン前の広場からこの建物をじっと見つめていた。
そして一世紀前に開花していたソヴァージュの才能に見惚れるしかなかった。



この建物が竣工した際、ソヴァージュはあのテラスから
どんな風景を観ていただろうか。

遥か雲の向こう側に100年後のパリが見えていたのかもしれない。





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パリ モンパルナス駅から線路沿いに少し歩いた場所。
そこにEglise Notre-Dame du Travail (労働の聖母教会)という
聞きなれない名前の教会がある。

鉄骨が張り巡らされた簡素な内装と地味な佇まいの教会だ。


古い教会内を見たあと、私は外の裏手にあるベンチに
しばらくの間座っていた。

ぼんやりとこの教会が建てられた頃を想像してみる。

1900年頃。
パリは万博で活気に満ちていたことだろう。
多くの建物が新築され、それに伴い大勢の労働者がかり出されたはずだ。
街の中心部に住む階級の高い人々は別にして、
低賃金の職人や労働者たちは、こうした線路沿いの地価の安い場所に
集まっていた。
そこには生活があり、苦難もあったはずだ。
この教会が求められた理由はそこにある。

ただここには裕福な寄進者など存在するはずもなく、
こうした体育館のような教会を建てるしかなかったのかもしれない。


ここへ通っていた人たちは何を祈っていたのだろうか。


働く。生きる。そして祈る。

ひとは何のために働くのか。
誰のために働くのか。
先に喜びはあるか。悲しみは消えるのか。
家族と故郷と与えられた僅かな恵みに感謝する。
そして祈る。


華やかなパリの側面には、
人知れずこうした慎ましい場所が隠れていることを
記憶に留めておきたいと想った。

大きな樹木が風に揺れていた。
やがてここにも春がくる。




※ノートルダム・デュ・トラヴァーユ(労働の聖母)教会
モンパルナス地区に定住した土木労働者や職人のために1902年に建てられた。





 【No.146】Panhard  2018/03/23 (Fri)
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深夜、左岸にある路地の一角に
これまで見たことのない車が停車していた。

丸みを帯びた曲線のデザインが美しい。

見たことのないというのは大袈裟かもしれないが、
自分の記憶の中では確かに目にした事はなかった。



後日気になって調べてみると、記憶にないのは当然だった。
既にこの車のブランドは1967年に生産を終了している。

パナール(Panhard)という
フランスが生んだ自動車メーカーの車だった。


生産終了後、すでに50年以上の年月を経ている車が
街中で普通に停まっていた。
しかもガレージに保管されているのではなく、
今もこうして愛用されている。


古い建物と現代が交差するパリ。
パナールもまたこの街に溶け込む。


それはジャズトランペットのミュート音のように
おとなの匂いがした。




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ポルト・ド・ヴァンセンヌの駅から地上にでると、
道が続く向こう側に2本の柱※が見える。

あの先はナシオン広場だ。
遠い昔、自分が立っている場所はパリではなく、
あの場所から向こう側がパリだった。
さらに昔はバスチーユ辺りからがパリだったという。


私たちが思っている以上に小さな都市だったパリ。

だが、その宝石のような都市に
ヨーロッパの他の国々、別の大陸からも夢を追いかけ人々が集まった。

そして在るものはパリという舟で帆をたなびかせ、
在るものは静かに舟を去っていった。

「たゆたえど沈まず」

パリの市民憲章にもなっているその言葉こそ、
この地の志そのものが表されている。


ひとは皆、限られたいのちを生きるしかない。
そして残るものへ、何かを伝え去っていく。

パリは私たちに何を教えているのだろうか。


見つめる先には、
シンボルとなった塔が微かに映る。


それは求めるもの、全てを受けいれるように。






※1785年建立。この場所でルイ14世が王妃を迎えたことから
「王座の円柱」と呼ばれた。2本の円柱の上には歴代王「サン・ルイ」、
「フィリップ・オーギュスト」の像が置かれている。


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主人と一定の距離を保ちながら散歩する犬がいる。
双方が信頼しているからか繋がれている様子はない。

フレンチブルドックは愛嬌があり、その憎めない表情がかわいい。
パリでも時折その姿を見かける。



2008年にこの世を去ったイヴ・サンローランの愛犬もこの犬種だった。

デザインにのぞむ彼の凛々しい表情が印象的だが、
一方で愛犬と一緒に笑顔を見せる優しい表情も写真に残されている。

彼の愛犬はMoujik(ムジーク)〔ロシア語で農民〕という名前だった。
仕事場でも一緒にいることが多かったようだ。


イヴ・サンローランが作り上げたファッションのブランド。
そしてその傍らにいた「農民」。


何かそこにパリが育んだエスプリを感じる。




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パリで数十年ぶりに降った大雪も、街ではすっかりその姿を消している。
ただセーヌはいつになくその水かさを増していた。


私たちには嬉しくない風景も、鳥たちにとっては
別なのかもしれない。

普段は目にしない白鳥が河岸で羽を休めていた。


いつもとは違うセーヌの表情。



日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
ーアポリネールの詩よりー


自らの力では立ち向かえない
自然に惑わされる日々。


いつの日か残されるのは私たちではなく、
ここにいる白鳥たちのような気がした。






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パリに到着したのは夕刻だった。
ホテルにチェックイン後、街外れにあるジャズクラブに向かう。

地下鉄駅から地上に出ると冷たい空気が通りぬけた。
パリの2月は想像以上に身体にこたえる。


道すがら暮れかかる静かな坂道の先に
月が顔をだしていた。

見慣れたパリの下町風景だったが、何かそこに僅かな温もりを感じて
カメラを向ける。

ここにはどうみても旅行者の姿はない。



冷たさと温もりと月。
電球色の街灯が夜に溶け込む。


こうしてまた短い旅の一日が始まった。






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パリ ルーヴル美術館にほど近い一角。
馬に乗り旗を掲げる女性像。
金色に輝くその像が向かう方角には
モデルとなった女性がかつて目指した地がある。
オルレアンだ。


ジャンヌ・ダルク。
その名前は歴史を越えて受け継がれ、聖人となった。


流されていく自分がいるとき、
変わらぬものにすがろうとするのが、ひとの心なのだろうか。

何かに突き進む勇気と強い信念。



今尚世界の国々で、声を上げ繋がるひとたちが後を絶たない。

ひとは皆、それぞれが持つ心の何処かに
先頭を行くジャンヌ・ダルクを追い求めているのかもしれない。




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柔らかな日差しと
すり抜ける風が心地よい午後だ。

パリ9区。
タイブー通りから少し入った場所に、
かつて芸術家たちが多く住んでいた場所がある。

Square d'Orléans / スクワール・ドルレアン

そしてここは、フレデリック・ショパンが
1842年から7年の歳月を過ごした場所でもある。


病に臥せりヴァンドーム広場に面した家でこの世を去ったショパン。
1849年、39歳だった。


スクワール・ドルレアンで彼が過ごした日々。
ジョルジュ・サンドや仲間たちと
芸術について語り合っていたのだろうか。
数年後に訪れる自らの死期を悟っていただろうか。


この場所に佇むと目の前の景色にショパンの眼差しがオーバーラップする。
彼もここで同じ光景を見ていたかもしれない。


アパルトマン中庭にあるシンボリックな2本のマグノリアの木。
そしてその間にある青銅色の美しい噴水。
しなやかさと優美さのなかに独自の強さがある。


それはショパンのワルツを奏でるかのように、
今も水と光を輝かせている。




 【No.139】akogare  2018/02/03 (Sat)
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欲しいものがあるとき。


何度も繰り返しその姿や形を見ては、
手に入れたときの情景を頭に浮かべる。

それは自分にとって本当に必要なものか。
明日も明後日も、一年後も必要なものか。
冷静に考える。

こうして悩んだり嘆息をもらすとき、
まだ先には希望がある。


そして恋愛にも似た
ひとときの憧れというその過程にこそ、
曖昧な幸せがある気がする。




 【No.138】音が降る  2018/01/27 (Sat)
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荘厳な幾何学模様と突きぬける天井の傍ら
巨大な生物の体内に連なるパイプオルガンが響く


音が降る


悪魔の嘆きか 天使の囁きか


旅人に差し伸べられる幾筋もの光が
こころの奥底に仕舞われた何かを呼び戻す


パリ1区 サン-ジェルマン-ロクセロワ教会




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滑らかな口当たりの一杯。
そう一言でいってしまうには
言葉がたりない。


ウィーンの街を喉をからして歩いた記憶がある。
数十年前の暑い夏だった。
カフェへ入っても、よほど高級店でないかぎり
氷の入った水は出てこない。

地元のひとが集まる安いカフェに入る。
一杯のコーヒーが、潤いと安らぎを差しだしてくれた。



ネルドリップには奥深い味わいを出す魔法がある。
繊維の奥に秘められた長い時間を、珈琲豆が短時間で
タイムスリップする。


時間を巻き戻せるなら、
ウィーンで味わったあのコーヒーに
また巡りあいたい。


そう思うと、ウィーンがネルで
自分が珈琲豆のような気がしてきた。
タイムスリップはできないけれど。





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セザンヌは生涯60枚以上のリンゴの絵を描いている。
セザンヌにとってリンゴの存在とは何だったのだろう。

「自然を円筒形、球形、円錐によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れる。」

というセザンヌの理論を探求するつもりはない。



リンゴは最も身近にある果物で、手にとってその様々な形が見てとれる。
色も黄色から緑、深い赤まで、その変化も日の経過により一様ではない。

この最も私たちの暮らしに溶け込み、主張し過ぎず、それでいて色形に変化があるということが大切だ。

これこそ「絵」になる存在ということだ。
セザンヌがモチーフにしたリンゴはなるべくしてなったといえる。


そもそもアダムとイヴの時代からリンゴは出現している。
そう考えると過去から現在まで、リンゴは必要不可欠なものだった。



そんなことを考えながら、ビートルズのSomethingを聴いていた。
このレコードにもリンゴのシンボルがある。
そして今使っているこのパソコンにも。

セザンヌが生きていたら、このパソコンでリンゴの絵を描いていただろうか。





 【No.135】画家  2018/01/04 (Thu)
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画家になりたい。
幼い頃、漠然とそう思っていた記憶がある。
そんな自分も物心が付くに連れ「何かになる」という話はなくなり、
現実的な学校や進学の話になっていった。


画家という職業は「身近な職業」ではない。
そもそも農耕民族だった日本では、多数の中に従属することが好まれる。
画家などという何をどうして暮らしているのかわからないひとを
受入れようとはしない気質がある。


絵画についても日本ではコンプレックスからくるものなのか、
必ず絵について意見を求められると、
「よくわからないが・・・」という前置きがつく。

「この絵は好きだ」「好きな絵ではない」という意見は稀だ。
そればかりか金額のことばかり気にする傾向がある。
まずはいくらの絵か、高い絵だから良い絵だ、という観念。

残念に思うことも多いが、一方で上野の美術館に大勢の人たちが
並んでいるのを見ると、絵画への感心の高さに驚かされる。
身近なものではなく、高尚とされるものをありがたく
崇拝するということなのだろうか。
それとも個人での美術への興味が徐々に高まっているということなのか。

ただフランスのように、芸術文化に日本の何倍もの国家予算を使っている国との比較では根本が違うともいえる。


考えかたは時代の流れで変化していくものだが、
果たして画家は今後どこまで受け入れられていくだろうか。

これから画家になろうと志をもつひと。
そんなひとが一人でも多くなれば、
もっと文化的に豊かな国になれる気がする。



棟方志功は「自分はゴッホになる」と自ら言っていた。

まずは自分の情熱を明言することかもしれない。




 【No.134】師走の月  2017/12/25 (Mon)
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三田の駅から数分歩き、細い路地に入った。

古風な赤い暖簾をくぐり、カウンターのみ8席ほどの店へ入る。

まん中の空いている席に目線をおくると、
中にいた女主人が話しかけてきた。

「もう定食は出来ないけど」

「かまいません、いいですか?」

「8時30分までだけど」

時計はもうすぐ8時になろうとしていた。

「大丈夫です」

そう言って背広姿の自分たち二人は
ほかの客の間に座った。


メニューはいたって少なかったが、
焼餃子と水餃子、それぞれ一皿ずつ注文した。

オーダーして私たちの前に餃子が出てきたのは
15分ほどしてからだったろうか。
女主人ひとりでの切りもりなので苦にはならなかった。


一皿には6個、二種類の餃子を連れと話しを交えながら交互につまんだ。

皮の部分は厚みがある。
見た目は特に珍しい餃子ではなかった。
あえて言うなら普通のスリムな三日月型とは違い、
こんもりとした半円形をしているのが特徴的だ。

しかしひととき口に入れると、
そのふんわりとまろやかな食感に気付かされる。
ニンニクとニラ、そして豚肉との絶妙なバランス。
肉汁が口の中で弧を描く。

一本の瓶ビールと共に、ふた皿の餃子が15分ほどで腹に消えた。


時計の針はすでに8時30分を回っていた。


「すみません、会計を」
食事をしながら実は営業時間が8時までだったということを知り、
女主人に申し訳ない気がした。


「美味しかったです」
「次回はもう少し早い時間に来ます」

それを聞いた女主人は初めて笑顔を見せながら釣り銭を手渡してくれた。



店を出てから振り返ると、
古くて温かな昭和の佇まいがそこにあった。

そういえばこの店には名前がない。
暖簾に「餃子」という文字が書かれているだけだ。


店名が必要ない訳は、この店を訪れるとわかる。

あえて名前を名乗らず、
必要以上に媚びることなく、
出来ることを丁寧に行い、
目立つことを望まない。

そんな誰しも出来るようで、
できない仕事、生き方がここにある。



帰り道、月が店を照らすかのように
ほんのりと輝いていた。

師走の月が餃子の形に見えた。





 【No.133】colette  2017/12/18 (Mon)
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美しい砂浜に一羽の孔雀が降り立つ。
海辺に孔雀は不釣合いだったが、
皆一様にその美しさに見惚れ話題となった。

そして時が流れ、孔雀にも砂浜を去る日がきた。



2017年12月20日、パリ サントノーレ通り213番地。
「コレット 」が20年という月日に幕を閉じる。

ファッション、トレンド、セレクト。
パリにあってその存在はシンボルとも呼べる店だった。

パリに行くたびに必ず一度はここを訪れ、店内を見てまわった。
訪れるたびに、前とは違うディスプレイや商品のラインナップに
感心させられた。
閉店を惜しむ業界のひとも多いというが、自分にとっても
大切な友人が去っていく気がして名残惜しい。



時が経てば、また違う鳥がこの砂浜に降り立ち、
人気を集めるかもしれない。

ただこの場所に降り立った一羽の孔雀の存在を
忘れることはないだろう。




※1997年「コレット」はコレット・ルソーにより設立。デザイナーブランドのコレクションをはじめアートや音楽など、卓越した視点で選ばれた商品を展開し人気を集める。カール・ラガーフェルドをはじめ、数多くのアーティストにも支持者が多い。



 【No.132】木立ち  2017/12/13 (Wed)
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季節が巡ることは、日々の生活をおくる私たちに
何かを伝えようとしている。

同じ繰り返しのように感じていても、
少しずつ何かは変化している。

立ち枯れた樹木、成長した枝と新たな芽吹き。
取りまく気温も昨年とは随分と違っている。

それは私たちにも当てはまる。
しばらく会っていない人が亡くなる、
近くにいた仲間が転勤する、子どもが生まれる。

テレビの見方、雑誌の買い方、会話の仕方。
世の中が変化することに、否応なく私たちも合わせて
暮らしている。



年の瀬が近づく。

来る年も何かが変わるだろう。

ただ、こころの中では
変わらないものを
抱き続けようと感じている。




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街角でつい後ろを振り返ってみることがある。

それは香りの旋律を感じた時だ。



ブランドのバッグや靴などは積極的に取り入れる日本人女性も
香水やオー・ド・トワレとなると急に消極的になる。

人種として体臭が弱い日本人は、そもそも匂いというものに敏感な気がする。

どちらかというと香りそのものを嫌っているひとも多い。
ある時は蔑むように「臭い」という一語で評価しがちだ。

では本来の日本人はというと、平安時代の昔から貴族を中心に
お香をくゆらせ、部屋や衣服へ「移香」することを楽しんでいた。

そうした歴史があるものの、香りの文化は日本に根づかないままのようだ。



決して強い香りでなくていい。
日本人に合った、ほのかな香りとでもいうのか、
そのひとに合ったイメージの香りを纏うのも
おしゃれの一つではないだろうか。


それこそが自分だけの旋律を奏でることだから。





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雑誌やテレビでラーメン店が紹介されると、
日本人のラーメン好きがよくわかる。
街中でもいたるところに店舗がある。


ロンドンの繁華街にも数は少ないがラーメン店がある。
そしてそこにも何故か日本人が集まる。
理由はいくつかあり、価格が他のレストランに比べて安いこと
(日本と比べると決して安くはないが)、
食べ慣れていること、日本語が通じることなどだ。
味といえば並といったところか。


笑ってしまうのは、何人かの日本人旅行グループが
自由行動で昼食時に同じラーメン店で偶然に顔を合わせてしまうこと。
ガイドブックを片手に結果的に同じ道を選んでしまう。
安心ということに弱い、いかにも日本人らしい行動と言える。
かく言う自分も友人と別々に観光していた際、
たまたま入ったラーメン店で顔を合わせてしまったことがあり
苦笑いしてしまった。


英語が通じること、時間や決められたことを守ること、
これらはロンドンが馴染みやすい理由かもしれない。



自分にはあまり魅力的に感じられなかったロンドンだが、
休日の東京で昼食時にひとりラーメン店にはいると、ふと思い出す。


この季節は東京よりも気温が下回るロンドン。
寒空の下いまも誰かが似たようなものを食べているのだろうか。





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Eva Cassidy


彼女が若くして亡くなったことを美化するつもりはない。
その演奏に耳を傾けるとき、スローな詞をかみしめるような歌声が
混沌とした現代を優しく包みこむ。



「枯葉」というとイヴ・モンタンやエディット・ピアフが取り上げられるが、
エヴァ・キャシディの「枯葉」には、彼女にしか表せない世界がある。


ひとりの女性が積み重なる落ち葉に自分を投影する想い。
暖炉に揺れる炎を見つめるように、
それは形作られることのない過去との会話を語りかけてくれる。



短い秋から冬へ。うつろう季節のなかで、
エヴァ・キャシディという一枚の落ち葉を
見つけてほしい。



※エヴァ・キャシディ
1963年米国生まれ、歌手、ギター奏者。
1996年11月、病いにより33歳にしてこの世を去る。





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