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雨が止んだ朝、葉に留まる水のひとしずくに無限の広がりがこめられた生命を感じる。
銀河系のような宇宙の一群が、もしかしたらこの中に存在しているからだろうか。

万物に宿る宇宙をふだん私達は見過ごしているのかもしれない。

ひとしずくの水は見ている間そこに現れているが、ひと息ついてふたたび凝視するともう何処かへ消えてしまっている。

命の源は人知れず儚い。




 【No.33】雲の峰  2014/07/26 (Sat)
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夏の雲、それは純粋で力強く美しい。
山の峰のように沸き立つ積乱雲などを「雲の峰」というのだそうだ。

梅雨の季節が過ぎ去ると、空には入道雲が顔を見せる。
丸みを帯びた堂々とした白色に、コントラストをつけた空の青色。
この雲に出会うと不思議と小学生の夏休みを思い浮かべる。

夏休みの絵日記には必ずと言っていいほど、この雲を描いた。
綿飴のようなこの雲を描くだけで夏が表現できた気がした。
いつの頃からか次第にそんな雲の形も子供っぽい気がして、あまり興味をひかなくなった。春や秋の偶然が作り出す柔らかな雲の形が美しいと思うようになった。

やがて年を重ねるとそんな好き嫌いの気持ちも薄れ、ただそこにある雲の形に見惚れている。修行に似てすべてを受け入れることで雲を理解し存在に近づけるのかもしれない。

雲の峰はまだ遠い。



 【No.32】時計  2014/07/19 (Sat)
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もらった時計と買った時計。止まった時計と傷ついた時計。

いくつもの時計がこれまでの年月、静かに時を知らせてくれた。
大切な人との約束時間に遅れ繰り返し時間を気にした時、試験で数分に集中した時、知人が亡くなりぼんやりと時計を見つめた時、空港で時差の針をあわてて合わせた時。

振り返ると、自分と永い時間を一緒に過ごしてきた時計が愛おしい。
時計のベルトやクオーツ時計の電池など何度も交換をした。
その度に新たな気持ちが自分に少しだけ活力を与えてくれた。

今は機械式の時計が時折時刻をずらしては主人の様子を伺いながら一緒に生活を共にしてくれている。



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学生時代、立体表現の授業で粘土を使ってトウモロコシを作る機会があった。

まず芯の部分を作り、そのあと一粒一粒、実の部分を付けていく。根気のいる作業だが、物の成り立ちを中身から考えて創るための良い課題だった。

彫刻作品で感動するのは、作品から湧き立つ感情表現、そしてリアリティな中身の表現かもしれない。

バチカン サンピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの「ピエタ」。
あまりにも有名な作品だが、その大理石とは思えない艶やかな肉体を支える腕には、石像を超越した「重さの表現」が感じられる。

しかもキリストという存在が、より重みを増して表現されていると感じるのは私だけではない気がする。




 【No.25】音の回想  2014/05/26 (Mon)
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20代後半に暮らしたマンション。
そこから見える隣の階下には比較的広い庭があり、そこには弓道場があった。
境には背の高い竹が繁っていて、的だけが少し見える。

休日になると、矢が的に当たる音で目を覚ますことが時折あった。
響く音ではないが、矢が放たれた際の弓の音と的に当たるパーンという微妙な音だ。

自分は何故かこの音が聴こえる休日の午前中がとても好きだった。
停滞した空気の真ん中を澄んだ透明な空気が突き進む。
その一定のリズムと和の音に続く静寂感が気にいっていた。

そんな弓道場の音もマンションを引越してから聴くことがなくなった。

雨上がりの休日、ふとあの頃の「音の回想」が湧き上がる。
そして一度手から放たれた矢は戻らない。



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幼い頃、田舎で育った自分は蒸気機関車が好きでよく駅まで連れて行ってもらった記憶がある。
それは小学生の頃まで続いただろうか。

すでにその頃には蒸気機関車は「消えゆく」存在だったが、家で朝日ソノラマという本に付属していた赤いソノシートというレコードを何度も聴いていた。
ソノシートに入っていたのは蒸気機関車の汽笛と車輪の音を録音しただけのものだったが、夢中だった自分にとってはそれで十分だった。

D51やC62、特に「デゴイチ」という愛称はその頃の蒸気機関車では花形の存在だった。ちなみにCと頭につくのは3つ、Dというのは4つ大きな車輪がついているからである。
そんな蒸気機関車熱も何故か中学生になるとすっかり冷めてしまい、映画や音楽へと興味が移ってしまった。

時代が移り、東京でも鉄道マニアと呼ばれる人たちが駅のホームで写真を撮っているのをよく見かける。
自分もあのまま熱が冷めていなかったら、同じようにカメラを片手にホームで佇んでいたかも知れないなとぼんやり思った。



 【No.23】Canterbury  2014/05/11 (Sun)

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ロンドンから南東へバスで2時間ほど行ったところに大聖堂の街カンタベリーがある。

大聖堂目当ての観光客も多いが、幾つかの学校があるので学生達の姿もよく見かける。
自分も2ヶ月ほどホームステイをして、この街の語学学校へ通っていた。
学校へはヨーロッパ各国から学生が集まり年齢も様々だったが、気の合う仲間とそれなりに楽しい日々をおくった気がする。

街の中心から少し外れると芝生のきれいなグランドが広がり、周囲には大きな樹木があった。秋には栗のような実をつける。
住宅街はセミデタッチドハウスという2軒が一棟になった家が無数に並んでいて、どの窓を見ても同じテレビの位置から同じ番組が流れていた。

この国では、はみ出さないこと、変わらないことを大切にしている。
彼らの美しい芝生を維持する姿勢に国民性がよく表れている。

語学学校で隣の席によく座っていたスペイン人のマリアという女の子が、いつも疲れ気味であまりうまく皆に溶け込めずにいた自分のために、授業中に辞書へ優しくメモを残してくれた。


「SMILE ALWAYS!」


今もこの言葉を想い返すと、学校の窓から見えた大聖堂のシルエットとマリアの笑顔が脳裏から離れない。


 【No.19】王の夢  2014/04/11 (Fri)
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ドイツ南部のフュッセンという小さな町。

小高い山の上にある白亜の城から低い雲の下に望めるのは、
王自身が育った蜂蜜色の小さな城だ。
その向こうにはかすかに湖面が映っている。


バイエルンという小国にあり民衆とは隔絶した山の頂きに残された城、
ノイシュヴァンシュタイン城から見降ろす風景はルードヴィヒ2世が
過去を見つめるためのものだったのだろうか。

城を築くことに執着しワーグナーに心酔、政治という自らの権威にも
背を向けた日々。
ルードヴィヒ2世の心境は狂気といえる域に達する。


夢を見ていたのか、夢を見たまま死にたかったのか。

事実、1886年ルードヴィヒ2世はノイシュヴァンシュタイン城から
見える湖に身を投じて命を絶っている。


生前、自身が死んだら城を壊すよう命じていたらしいが、
奇しくも城は万人に開城され潰えた王の夢は残された城に
永遠に閉じ込められることになる。



私達がそこに見るのは、悲劇の舞台だけだろうか。

そこにあるのは全てのものから守られ夢を見続けられる
母胎のような気がしてならない。







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1970年代、BCLという短波放送を聴くことがひところ流行り、
短波を中心に周波数を細かく分けて聴けるラジオが発売された時代がある。

国内だけでなく、世界中の放送がラジオで聴けるというのが当時の
キャッチフレーズだった。スカイセンサーやクーガといった名前の商品で、
ラジオとしては高価なものだった気がする。


ラジオリスナーにはこうした背景のほかにもうひとつ、
ベリカードという楽しみがあった。

このカードは電波を発信している放送局に聴いた場所や信号の強さ、
番組内容などを記入して送ると、お礼にその局のオリジナルカードを
郵送してくれるというものだ。

海外放送局の日本語放送などを聴いて届けられたベリカードは特に嬉しかった。
記憶に残っているのは南米エクアドルのHCJB(アンデスの声)。
地球の裏側から届くその放送は以外にも良く聴こえた。


深夜、家族が寝静まった時間にダイヤルをゆっくりと回して周波数を
合わせていた自分が懐かしい。


そのころ集めた沢山のカードはもう手元にはないが、
今でもラジオダイヤルの隙間に大切に記憶されている。




 【No.9】ハウス  2014/02/08 (Sat)
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「ハウス」立川にかつてあった通称・米軍ハウスをこう呼んでいた。

私には大学時代の3年半をハウスで暮らした経験がある。
見た目に古い平屋で、バス・トイレがありリビングのほかに2部屋、
全てが板貼りだった。
冬は凍えるほど寒く、夏はどうしようもなく暑い。
もちろんクーラーなどは無かった。
それでもその十分な広さは、美大生の自分にとってはありがたかった。
ピンク色の外壁にありし日のアメリカを感じた。

私が住んでいた頃には既に基地はなくなっていたが、
跡地としての広大な土地にはまだフェンスを張り巡らしていた。
それは飛行場という普段の生活とはかけ離れたスケールと
「フェンスの向こうのアメリカ」の証しだ。


ハウスは袋小路の区画の中に8棟、少し離れた区画にも数棟があり、
自分と同じ美大生やかつて基地に勤めていたアメリカ人の姿もあった。

その頃の自分はというと大学も休みがちで、決して勤勉とはいえない
毎日をおくっていた。
買ったばかりのカメラで基地跡地の周辺を夢中で撮っていたのも
その頃だった。


30年が過ぎた2012年のある日、私は自分が住んでいたハウスの
場所に立っていた。

そこはマンションの駐車場になっていた。
もどらないはずの時間にタイムスリップする。
胸を締めつける感慨が湧きあがる。

5分くらいはその場にいただろうか。
私は・・・ゆっくりとその場をあとにした。


帰り途、暑い夏にハウスでよく聴いていたボサノヴァの曲を想い出した。





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