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 【No.138】音が降る  2018/01/27 (Sat)
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荘厳な幾何学模様と突きぬける天井の傍ら
巨大な生物の体内に連なるパイプオルガンが響く


音が降る


悪魔の嘆きか 天使の囁きか


旅人に差し伸べられる幾筋もの光が
こころの奥底に仕舞われた何かを呼び戻す


パリ1区 サン-ジェルマン-ロクセロワ教会




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滑らかな口当たりの一杯。
そう一言でいってしまうには
言葉がたりない。


ウィーンの街を喉をからして歩いた記憶がある。
数十年前の暑い夏だった。
カフェへ入っても、よほど高級店でないかぎり
氷の入った水は出てこない。

地元のひとが集まる安いカフェに入る。
一杯のコーヒーが、潤いと安らぎを差しだしてくれた。



ネルドリップには奥深い味わいを出す魔法がある。
繊維の奥に秘められた長い時間を、珈琲豆が短時間で
タイムスリップする。


時間を巻き戻せるなら、
ウィーンで味わったあのコーヒーに
また巡りあいたい。


そう思うと、ウィーンがネルで
自分が珈琲豆のような気がしてきた。
タイムスリップはできないけれど。





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セザンヌは生涯60枚以上のリンゴの絵を描いている。
セザンヌにとってリンゴの存在とは何だったのだろう。

「自然を円筒形、球形、円錐によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れる。」

というセザンヌの理論を探求するつもりはない。



リンゴは最も身近にある果物で、手にとってその様々な形が見てとれる。
色も黄色から緑、深い赤まで、その変化も日の経過により一様ではない。

この最も私たちの暮らしに溶け込み、主張し過ぎず、それでいて色形に変化があるということが大切だ。

これこそ「絵」になる存在ということだ。
セザンヌがモチーフにしたリンゴはなるべくしてなったといえる。


そもそもアダムとイヴの時代からリンゴは出現している。
そう考えると過去から現在まで、リンゴは必要不可欠なものだった。



そんなことを考えながら、ビートルズのSomethingを聴いていた。
このレコードにもリンゴのシンボルがある。
そして今使っているこのパソコンにも。

セザンヌが生きていたら、このパソコンでリンゴの絵を描いていただろうか。





 【No.135】画家  2018/01/04 (Thu)
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画家になりたい。
幼い頃、漠然とそう思っていた記憶がある。
そんな自分も物心が付くに連れ「何かになる」という話はなくなり、
現実的な学校や進学の話になっていった。


画家という職業は「身近な職業」ではない。
そもそも農耕民族だった日本では、多数の中に従属することが好まれる。
画家などという何をどうして暮らしているのかわからないひとを
受入れようとはしない気質がある。


絵画についても日本ではコンプレックスからくるものなのか、
必ず絵について意見を求められると、
「よくわからないが・・・」という前置きがつく。

「この絵は好きだ」「好きな絵ではない」という意見は稀だ。
そればかりか金額のことばかり気にする傾向がある。
まずはいくらの絵か、高い絵だから良い絵だ、という観念。

残念に思うことも多いが、一方で上野の美術館に大勢の人たちが
並んでいるのを見ると、絵画への感心の高さに驚かされる。
身近なものではなく、高尚とされるものをありがたく
崇拝するということなのだろうか。
それとも個人での美術への興味が徐々に高まっているということなのか。

ただフランスのように、芸術文化に日本の何倍もの国家予算を使っている国との比較では根本が違うともいえる。


考えかたは時代の流れで変化していくものだが、
果たして画家は今後どこまで受け入れられていくだろうか。

これから画家になろうと志をもつひと。
そんなひとが一人でも多くなれば、
もっと文化的に豊かな国になれる気がする。



棟方志功は「自分はゴッホになる」と自ら言っていた。

まずは自分の情熱を明言することかもしれない。




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