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「そのゲームはいつ終わるの?」

「わからない。いつも途中で中断しては、またその途中から始まる。」

「終わりがないってこと?」

「いや、いつかは終わりがくる。自分がそこに浸っているだけで、
 やめようと意識すれば、そのときが終わりだよ。」

「そうしてゲームに浸っている時間に大切なものを失っていると思わない?」

「そうだね、失っている時間は多いと思うよ。」



自分は無意識のうちに時間を無駄にしているのだろうか。
そんな会話のあと、スパイラルに迷い込んだような空白の時が過ぎる。


休日の午後、カフェから赤いスポーツカーが見える。



ひとは時として快楽の迷路に迷い込む。
そしてある時は静から動への欲求にとらわれる。


自分の心にスポーツカーは存在しているだろうか。



今日という一日をどう生きるか。

求める一枚の写真は、そんな一日の何処かで待っている。





 【No.115】左岸の朝  2017/08/23 (Wed)
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「こんなにも長い間共鳴し合えたこと、
 それだけですでにすばらしいことなのだ。」

シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉だ。
それはサルトルというかけがえのない人物に捧げられたことは
言うまでもない。


自分はこれまで写真について何かに共鳴してきただろうか。
思い返すと、何より共鳴してきたのは陽の光だったような気がする。
とりわけ朝の光は、想い出深いものが多い。



左岸の朝。
畑仕事に向かう人のように早朝ホテルを出る。
重い荷物を抱えながら歩くパリの街角。

柔らかな陽の光が、
これから始まる一日を優しく迎えてくれる。




 【No.114】Le Pain  2017/08/17 (Thu)
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香ばしく焼けた、ひときれのパン。
お米が主食の日本では、パンの焼きたてを食べる機会は未だに少ない。


パリでは朝からパン屋に行列ができる。
焼きたてのパンを求めて、普段は我慢するのが嫌いなパリっ子が
このときばかりは大人しく並んでいるのが痛快だ。


店によっては東京のパン屋も十分においしくなったが、パリで食べるパンとは
根本的なレベルが違うような気がする。

このことは逆の立場を考えれば分かりやすい。
お米なら電気釜ではなく、昔ながらの大きな鉄釜で。
ゆすぎは慎重に、水はきっちりと計量。
選んだ米を使用して、少しかために。
パリでこうした白飯を口にするのは難しい。

パンであれば相当の注意点があるはずだ。
しかもパン屋によってはそれぞれレシピが違う。


何はともあれ、美味しく焼けたパンを食べる幸せは何物にも代え難い。
まずはその甘い香ばしい香りと、焦げる手前の表面の色だ。
そして樹皮のように硬い外側に反して、
内側のコットンのような歯ごたえと弾力のある中身。
ひときれ口にした際の、鼻から抜けるような微かに温かい穀物の湯気。
これこそが美味しいパンを味わう瞬間かもしれない。



今朝の我が家の食卓では、トースターで焼かれた食パンが待ちかまえていた。
もちろん、ごく普通に。




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paris

アンリ・カルティエ・ブレッソンが撮った
「雨の中のジャコメッティ」。
パリの街を傘もささずコートをかぶり歩くジャコメッティ。

自分も雨の中、彼を見ていたような錯覚におちいる。
芸術家の人柄と存在感が記された一枚だ。



tokyo

展覧会場を出て中庭から空を見上げた。
雨が降っている。
先程まで感心して観ていた絵ではなく
いくつか別のことが想い浮かぶ。

イギリスの片田舎で
雨の中をBarbourのコートだけで歩いた記憶。
長時間雨にさらされることが
どれほど体温を奪うのかと思い知らされた。

若かりし頃、
雨は今より冷たく感じていた気がする。
肌で感じる雨粒が確かに冷たかった。
いまでは細胞が鋭敏さを失っているのかもしれない。




「肌で感じる」

そんな作品に出逢えたら、
幸せだと思う。





 【No.112】 Moon River  2017/08/01 (Tue)
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欲望の底にある虚栄心
それは一握りの幸せかもしれない


何台かのカメラを手にしても
まだその先に別の世界があると信じて
更に別のカメラに心が動く
レンズも同じだ


本当は一台でいい
レンズも一本でいい
ひとつのカメラが自分の眼となり
身体の一部となりさえすれば


そう信じている一方で
まだ見ぬカメラを追い続けている

わずかな幸せと別の世界を夢みて





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