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 【No.62】建築作品  2015/09/27 (Sun)
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これまで建築を「作品」と呼ぶ建築家に抵抗があった。
建築というのは依頼主からの要請を受けて成立する仕事であって、建築家の作品としては独自性が乏しいのではないかという疑念が自分にはあったからだ。

先日、目黒美術館で「村野藤吾の建築 -模型が語る豊饒な世界」を見てからは少し考え方が変わった。

ひとりの建築家が携わった数多くの建築。
そしてそれらを具現化した精巧な模型。
確かにそこには数多くの依頼主が存在し、半世紀以上という年月の痕跡が垣間見れる。

展示を見てそこに発見できるのは依頼主の意向や名称を超えて村野藤吾そのひと、そして作品が存在している気がした。

建物は「使われる」ことを前提としてこの世に生み出される。

当然として使う人の要望が随所に盛り込まれ、形にも影響を与える。ただそれらを具現化し、ひとつの「形」に積み上げるのは建築家自身だ。

美術館で手にした村野藤吾氏との対談をまとめた一冊の本に、村野氏自身の考え方を伺うことができる。


「数えられる数の間に、無数の数があるということに気がつく。0.1からたくさんある。もっともっと細かく微分することもできるでしょうね。それを探求していくこと、これが私はヒューマニズムだと思う。」
-村野藤吾「建築をつくる者のこころ」より-


村野氏は「ヒューマニズムとは、それを探求すること」と説明している。

村野藤吾氏が追い求めていたもの。
探求し残してきた蓄積。
それは「作品」という枠組みを超越して建物そのものが生み出す「空気感」を求めていた気がする。



 【No.61】量と質  2015/09/20 (Sun)
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大学時代、友人のアパートへ行った際に一冊の写真集を差しだされた。
森山大道氏の写真集だった。まだ写真にはそれほど惹かれてはいない頃だったが、氏の名前は知っていた。友人は森山氏の写真を気にいっていて、頁をめくる自分に同調をもとめる素振りだった。時代を経て森山氏の写真が今でも人気のある要因は、早くから自身のスタイルを確立していたからだろう。

雑誌に載っていた森山氏の言葉でうなずいた一節がある。

「量のない質はない」

咄嗟にうず高く積まれた印画紙の量を想像した。
もちろんそれら全てが陽の目をみることはなく、選ばれた一部だけが私達の前にさらされるわけだが、クオリティという言葉に慣らされている今の自分達には何処か響くところがある。
量より質という幻想にとらわれて、これまで何かを見失ってきた気がするからだ。

絵画におけるデッサンもまた量が重要視されるのは同様だ。デッサンそのものは目にする機会こそ少ないが、一枚の絵のベースになったデッサンの量がその過程を支えていると言える。

こと自身の制作に目をむけると、まだまだ量というには程遠い域に留まっている気がする。
量の先にある質へ、まだ先は長いのかもしれない。




 【No.60】動かぬ時  2015/09/15 (Tue)
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夏の終わり。

故郷である田舎町にある古びたバー。

窓際に佇む白い少年。

「君はいつからそこにいたんだ。」

動かぬ時がいつの間にか
数十年を刻んでいたのかもしれない。




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