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 【No.43】電話機  2014/10/25 (Sat)
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それは遠い昔の話ではない。

電話機を見つめながら、長い時間をともにした。
今の携帯電話に比べれば重い受話器を片手に、何時間も話していた。
好きな人や親友、家族に何かを伝えるとき、固定電話は大切な唯一の通信手段だった。

ひとり暮しのときはダイアル式の電話で、数字がもどるときのジィーという音がそのときの気分で心地よくも不快にも感じた。
そんなレトロな時代だったが、携帯の時代にはない良さもあった。
不便さと引き換えに想像する豊かさがあった。

待ち合わせで何分も待ったとき、どれほど相手のことを考えていただろうか。
そこには、相手への思いやりや信頼があった。
デジタルですぐに答えを出すほうが楽かもしれないが、想像する豊かさはない気がする。

携帯電話が必需品の時代、自分の気持ちの中にそっと忍ばせる優しさを何処かへ忘れてきたのかもしれない。





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十代後半に、それまで日常飲んでいた珈琲に深く興味をもつようになった。
ちょっとした専門誌を読み、自分でも試行錯誤しながら違う淹れ方で飲んでみた。本で紹介されているいくつかの店にも出かけては自分の好みの味を探していた。

銀座にある珈琲店「カフェ・ド・ランブル」は珈琲通のあいだでも有名な店だ。
珈琲へのこだわりは相当なもので、客は珈琲そのものを楽しむためにこの店を訪れ、会話やましてや待ち合わせでこの店にくる人達はいない。小さな店内だが、珈琲以外にも店で使用しているお湯を注ぐ口が細くなった特注品のホーローケトルも売っていて、これは買おうか迷った。

店での珈琲の淹れ方は一貫してネルを使用している。
通常より多めの豆を挽いて、ネルの上に注ぎこまれるお湯の太さと、珈琲となりネルから落ちる太さが一定になるように神経が注がれる。

決して熱過ぎないそのデミタスカップに注がれた一杯の珈琲は、それまで出会ったことのない芳醇で濃縮された深い液体の劇場へといざなう。
ランブルの珈琲には、スケルトンの機械時計にみるような究極がそこに感じられた。

すでに何十年という時が過ぎてしまったが、たった一杯の珈琲が注がれる数分に感動したことを今も記憶している。





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