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▲⭐️R0013077

高校の入学祝いだったか、シェーファーのボールペンを親戚からもらった。
黒地に金の網目模様がありデザインは気にいっていたが、無頓着であまり使いもせずに何十年もそのへんの引き出しに仕舞ったままだった。

最近になって、ふとこのペンの事が気になりデパートの文具売場で替芯を用意してもらったのだが、売場の老紳士にこう言われた。
「このペンは貴重です。大切にしたほうがいいですよ。」
そうなると一気にペン熱が高まり、他に仕舞っていたペンも日の目を見ることになる。

そういう視点で見直せば、また使ってみようと思えるペンが何本か出てきた。
これだから男は単純だと言われるのかも知れない。
気づけばペンを入れる革製のケースまで買っていた。

パソコンの反動かも知れないが、アナログな万年筆やボールペンの筆記具にこの頃不思議と愛着を感じている。



▲⭐️S img070

35mmカメラを使い続けて、何年かして中判のブローニーフィルムのカメラも使用するようになった。
ゼンザブロニカ、マキナと続きマミヤ、ローライ、ハッセルブラッドと変遷する。
手元に残っているのはマミヤ以降のカメラだが、これまで使用頻度が一番高いのはマミヤだ。

New Mamiya6 MFはレンジファインダーの6×6フォーマットで一度故障して修理したこともあって本体は2台ある。

マミヤのレンズはカール・ツァイスのレンズに比べると人気がないかも知れないが、カメラ本体の使い勝手の良さと全体のバランスで、出かける間際になると咄嗟にこのカメラを選んでしまう。

カメラやレンズのスペック、広告、実写例、コメントなどいろいろな情報に左右されて私達は製品を選択しているが、結果として残される作品にどれだけそれら情報が影響しているのか疑問に思うことがある。
もちろんどんな機材でもいいとは思わないし、だからこそ自分もこれまでいろんな機材を試してきた。

ただこれまで少なからず感じてきたのは、撮影の際にどれだけその被写体にストイックに向き合えるかということで、その時に手足となるカメラがどれだけ思いのままに動いてくれるかということだ。
その時々に使い慣れたカメラで、この1台しかない、このレンズしかないと覚悟することで良い作品が生まれるような気がする。

ひとつだけ心配なのは、自分が生きている間にフィルムが無くならないかということだけである。




▲⭐️img819

1970年代、BCLという短波放送を聴くことがひところ流行り、短波を中心に周波数を細かく分けて聴けるラジオが発売された時代がある。

国内だけでなく、世界中の放送がラジオで聴けるというのが当時のキャッチフレーズだった。スカイセンサーやクーガといった名前の商品で、ラジオとしては高価なものだった気がする。


ラジオリスナーにはこうした背景のほかにもうひとつ、ベリカードという楽しみがあった。

このカードは電波を発信している放送局に聴いた場所や信号の強さ、番組内容などを記入して送ると、お礼にその局のオリジナルカードを郵送してくれるというものだ。

海外放送局の日本語放送などを聴いて届けられたベリカードは特に嬉しかった。
記憶に残っているのは南米エクアドルのHCJB(アンデスの声)。
地球の裏側から届くその放送は以外にも良く聴こえた。


深夜、家族が寝静まった時間にダイヤルをゆっくりと回して周波数を合わせていた自分が懐かしい。


そのころ集めた沢山のカードはもう手元にはないが、今でもラジオダイヤルの隙間に大切に記憶されている。




▲⭐️img120

過去に「旅芸人の記録」という4時間あまりの映画を岩波ホールで観た。

1930年代から50年代のギリシャ戦時下を舞台にした旅芸人一座の物語だ。上映時間が長かったため、映画では珍しく途中で休憩時間があった。

長いセリフと固定されたカメラアングルが印象的で、ギリシャの近代史を重厚に語る映画だった。
「旅芸人」という存在に惹かれるのは、時代に寄り添いながら、旅を続けては支え合って生きる人々を想像するからだろうか。


この映画を思い浮かべたのは、テレビから流れたクラシックの1曲からだった。
ショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番 第6曲 第2ワルツ。
サーカスや大道芸を表現する際にこれほど雰囲気のあう曲はないかもしれない。
土ぼこりの道を進む旅芸人の悲哀と強さを感じさせる曲だ。


ショスタコーヴィチはロシアの作曲家だが、自ら戦争という狭間に生きた苦悩があったからこそ、こうした美しい作品を残せたのかも知れない。

移り行く3月。年度末の忙しい日々が行き過ぎる。



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