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 【No.173】揺れる光  2018/08/14 (Tue)
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古来から画家は北の方角に窓があるアトリエを選んだ。
直接的ではなく、間接的で均一化された柔らかな光を
好んだからである。

それはカメラを手にする我々にも同じことがいえる。
直接被写体へ光を照らすのではなく、バウンスさせたり
光を拡散させることで光をコントロールし、
柔らかな光に近づきたいと模索する。



そんな私たちを嘲笑うかのように刻々と変わるのが自然光だ。

それはどの瞬間に出会うか、
どう捕えるかで作品に影響を与える。


揺れる光は今日も私たちに微笑んでいる。





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金木犀の小さな妖精たちが放つ芳香。

その数秒の出来事が一年に一度、自分を導く。



姿や形が見えない花の香り。

調香師、ソムリエ。音楽家。
見えないものを追いかける人たちがいる。


あるフランス人の調香師はこう言っている。
インスピレーションは心をオープンにして、いろんなことに関心を持つこと。
調香は芸術でもあり、言語や概念にはすべて還元しきれない。


見えないものの捉え方。
それは永遠のテーマだ。


写真機が進化した今日、私たちに求められる共通の鍵が
そこにあるような気がする。





 【No.119】兆し  2017/09/20 (Wed)
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それは何かが起ころうとする気配。
季節の変わり目にも似た、湿度の違う空気が漂う。

このわずかな陽の光が通り過ぎると、
向こう側には灰色の一団が待ち受けている。

動物が本能で居場所を変えるように、
そのかすかな兆しが自分の前を通過する。


無意味な想像が頭をよぎる。
君は今頃、どこにいるだろうか。
行きつけのカフェで読みかけの本を読んでいるだろうか。
それともこれから行く旅の支度をしているのだろうか。



樹木の生茂る中でひとり、自分はカメラと共に立ち尽くしていた。


何かが変わろうとしている。
そんな9月の一日が過ぎていく。





 【No.118】Delete  2017/09/12 (Tue)
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もう処分しようとした古いデジタルカメラ。

旧式のメディアに何枚かの写真が残っていた。

ひとりの笑顔が蘇る。

感傷的な気持ちとラジオから流れる不釣合いな曲。


「削除」という簡単で重い言葉。

データは黒い画面となり瞬時に消え去る。



消し去ることのできない想い出が
胸のハードディスクに残る。





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アンリ・カルティエ・ブレッソンが撮った
「雨の中のジャコメッティ」。
パリの街を傘もささずコートをかぶり歩くジャコメッティ。

自分も雨の中、彼を見ていたような錯覚におちいる。
芸術家の人柄と存在感が記された一枚だ。



tokyo

展覧会場を出て中庭から空を見上げた。
雨が降っている。
先程まで感心して観ていた絵ではなく
いくつか別のことが想い浮かぶ。

イギリスの片田舎で
雨の中をBarbourのコートだけで歩いた記憶。
長時間雨にさらされることが
どれほど体温を奪うのかと思い知らされた。

若かりし頃、
雨は今より冷たく感じていた気がする。
肌で感じる雨粒が確かに冷たかった。
いまでは細胞が鋭敏さを失っているのかもしれない。




「肌で感じる」

そんな作品に出逢えたら、
幸せだと思う。





 【No.61】量と質  2015/09/20 (Sun)
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大学時代、友人のアパートへ行った際に一冊の写真集を差しだされた。
森山大道氏の写真集だった。まだ写真にはそれほど惹かれてはいない頃だったが、氏の名前は知っていた。友人は森山氏の写真を気にいっていて、頁をめくる自分に同調をもとめる素振りだった。時代を経て森山氏の写真が今でも人気のある要因は、早くから自身のスタイルを確立していたからだろう。

雑誌に載っていた森山氏の言葉でうなずいた一節がある。

「量のない質はない」

咄嗟にうず高く積まれた印画紙の量を想像した。
もちろんそれら全てが陽の目をみることはなく、選ばれた一部だけが私達の前にさらされるわけだが、クオリティという言葉に慣らされている今の自分達には何処か響くところがある。
量より質という幻想にとらわれて、これまで何かを見失ってきた気がするからだ。

絵画におけるデッサンもまた量が重要視されるのは同様だ。デッサンそのものは目にする機会こそ少ないが、一枚の絵のベースになったデッサンの量がその過程を支えていると言える。

こと自身の制作に目をむけると、まだまだ量というには程遠い域に留まっている気がする。
量の先にある質へ、まだ先は長いのかもしれない。




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静まりかえったパリの街に、
深夜ひとりの男が広告塔の側に佇んでいる。

映画のワンシーンのような一コマは、
その冷えた空気までもが私の記憶に
はりついている。
写真家ブラッサイの作品が絵になるのは、
舞台が夜も静かに息づいている
パリだったからかもしれない。

誰もがオレンジ色の街灯にそって
人通りのない路を歩くと、
いつしか脇役としてドラマに登場している
気分になる。

まだ朝日が登る前、私は重い機材を抱え
撮影場所をもとめて暗闇のパリ パンテオン近くを歩いていた。
建物の陰から黒猫が顔を出す。
石畳に響く靴音が静けさを誇張する。
猫が消えた先に目を移すと、
そこは袋小路になっていた。

impasse des Boeufsという
不思議な名前の路地である。
牛舎小路と訳せる名前から昔この場所に
牛舎があったのだろうか。

アーチ型の入口を入ると、
もうすぐ夜が明ける時間だというのに
部屋の灯りがあった。
若かった頃、朝方まで眠れずに過ごした
ことを思い浮かべる。

私はその場に静かに三脚を立て、
重い機材を置いた。
冷えた空気にレンズを向ける。
そして姿の見えない部屋の灯りの住人と
無言の会話をするかのように
数秒間シャッターを開けた。

そこに何か特別なものがあるという
訳ではなかったが、小路の放つ空気感に
吸いこまれていた。

そのあとどれくらいの時間が過ぎていたのかは
記憶にないが、路地を去り数分歩いた頃だろうか、
かすかに空が明け始めた。



 【No.28】煙の行方  2014/06/22 (Sun)
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煙草の煙がライトに照らされる。

一方向に向けられたライトは、光跡の浮かび上がる範囲だけ煙を映し出す。鮮明に照らされた煙は暗闇で途切れる。
ただそこにも煙は存在し、静かにゆっくりと上昇している。
当たり前の話だが、カメラは光によって浮かび上がった見えるものだけを写し出す。

見えるものと見えないもの。見えないけれど存在しているもの。
そして見えないけれど感じられる精神的なもの。

見えなくとも、存在している確かなものを写真に撮りたいといつも願っている。



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パリは東京の山手線ほどの広さしかない。

変わらないと言われるパリだが、
その境界に近い周辺では確実に今も日々変化を遂げてる。

数年前まで美しい路地の背景にあった木立が、
いつの間にか近代アパートに姿を変えてしまった。
残念な気持ちもあるが、それもまた生きているパリが
そこにあるということなのかもしれない。


メトロを乗り継ぎ、重い機材を抱えてパリを撮影する旅を
あと何年続けられるだろうか。


ただ、悲観的な想いばかりではない。
最近では雨の日に8×10カメラのカートを引きずり、
撮影場所で天候が変わるのをひたすら待つ時間も
悪くないと感じている。




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