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 【No.119】兆し  2017/09/20 (Wed)
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それは何かが起ころうとする気配。
季節の変わり目にも似た、湿度の違う空気が漂う。

このわずかな陽の光が通り過ぎると、
向こう側には灰色の一団が待ち受けている。

動物が本能で居場所を変えるように、
そのかすかな兆しが自分の前を通過する。


無意味な想像が頭をよぎる。
君は今頃、どこにいるだろうか。
行きつけのカフェで読みかけの本を読んでいるだろうか。
それともこれから行く旅の支度をしているのだろうか。



樹木の生茂る中でひとり、自分はカメラと共に立ち尽くしていた。


何かが変わろうとしている。
そんな9月の一日が過ぎていく。





 【No.118】Delete  2017/09/12 (Tue)
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もう処分しようとした古いデジタルカメラ。

旧式のメディアに何枚かの写真が残っていた。

ひとりの笑顔が蘇る。

感傷的な気持ちとラジオから流れる不釣合いな曲。


「削除」という簡単で重い言葉。

データは黒い画面となり瞬時に消え去る。



消し去ることのできない想い出が
胸のハードディスクに残る。





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paris

アンリ・カルティエ・ブレッソンが撮った
「雨の中のジャコメッティ」。
パリの街を傘もささずコートをかぶり歩くジャコメッティ。

自分も雨の中、彼を見ていたような錯覚におちいる。
芸術家の人柄と存在感が記された一枚だ。



tokyo

展覧会場を出て中庭から空を見上げた。
雨が降っている。
先程まで感心して観ていた絵ではなく
いくつか別のことが想い浮かぶ。

イギリスの片田舎で
雨の中をBarbourのコートだけで歩いた記憶。
長時間雨にさらされることが
どれほど体温を奪うのかと思い知らされた。

若かりし頃、
雨は今より冷たく感じていた気がする。
肌で感じる雨粒が確かに冷たかった。
いまでは細胞が鋭敏さを失っているのかもしれない。




「肌で感じる」

そんな作品に出逢えたら、
幸せだと思う。





 【No.61】量と質  2015/09/20 (Sun)
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大学時代、友人のアパートへ行った際に一冊の写真集を差しだされた。
森山大道氏の写真集だった。まだ写真にはそれほど惹かれてはいない頃だったが、氏の名前は知っていた。友人は森山氏の写真を気にいっていて、頁をめくる自分に同調をもとめる素振りだった。時代を経て森山氏の写真が今でも人気のある要因は、早くから自身のスタイルを確立していたからだろう。

雑誌に載っていた森山氏の言葉でうなずいた一節がある。

「量のない質はない」

咄嗟にうず高く積まれた印画紙の量を想像した。
もちろんそれら全てが陽の目をみることはなく、選ばれた一部だけが私達の前にさらされるわけだが、クオリティという言葉に慣らされている今の自分達には何処か響くところがある。
量より質という幻想にとらわれて、これまで何かを見失ってきた気がするからだ。

絵画におけるデッサンもまた量が重要視されるのは同様だ。デッサンそのものは目にする機会こそ少ないが、一枚の絵のベースになったデッサンの量がその過程を支えていると言える。

こと自身の制作に目をむけると、まだまだ量というには程遠い域に留まっている気がする。
量の先にある質へ、まだ先は長いのかもしれない。




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静まりかえったパリの街に、深夜ひとりの男が広告塔の側に佇んでいる。
映画のワンシーンのような一コマは、その冷えた空気までもが私の記憶にはりついている。
写真家ブラッサイの作品が絵になるのは、舞台が夜も静かに息づいているパリだったからかもしれない。
誰もがオレンジ色の街灯にそって人通りのない路を歩くと、いつしか脇役としてドラマに登場している気分になる。

まだ朝日が登る前、私は重い機材を抱え撮影場所をもとめて暗闇のパリ パンテオン近くを歩いていた。
建物の陰から黒猫が顔を出す。石畳に響く靴音が静けさを誇張する。
猫が消えた先に目を移すと、そこは袋小路になっていた。

impasse des Boeufsという不思議な名前の路地である。
牛舎小路と訳せる名前から昔この場所に牛舎があったのだろうか。

アーチ型の入口を入ると、もうすぐ夜が明ける時間だというのに部屋の灯りがあった。
若かった頃、朝方まで眠れずに過ごしたことを思い浮かべる。

私はその場に静かに三脚を立て、重い機材を置いた。冷えた空気にレンズを向ける。
そして姿の見えない部屋の灯りの住人と無言の会話をするかのように数秒間シャッターを開けた。そこに何か特別なものがあるという訳ではなかったが、小路の放つ空気感に吸いこまれていた。

そのあとどれくらいの時間が過ぎていたのかは記憶にないが、路地を去り数分歩いた頃だろうか、かすかに空が明け始めた。



 【No.28】煙の行方  2014/06/22 (Sun)
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煙草の煙がライトに照らされる。

一方向に向けられたライトは、光跡の浮かび上がる範囲だけ煙を映し出す。鮮明に照らされた煙は暗闇で途切れる。
ただそこにも煙は存在し、静かにゆっくりと上昇している。
当たり前の話だが、カメラは光によって浮かび上がった見えるものだけを写し出す。

見えるものと見えないもの。見えないけれど存在しているもの。
そして見えないけれど感じられる精神的なもの。

見えなくとも、存在している確かなものを写真に撮りたいといつも願っている。



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パリは東京の山手線ほどの広さしかない。

変わらないと言われるパリだが、その境界に近い周辺では確実に今も日々変化を遂げてる。

数年前まで美しい路地の背景にあった木立が、いつの間にか近代アパートに姿を変えてしまった。残念な気持ちもあるが、それもまた生きているパリがそこにあるということなのかもしれない。

メトロを乗り継ぎ、重い機材を抱えてパリを撮影する旅をあと何年続けられるだろうか。

ただ、悲観的な想いばかりではない。
最近では雨の日に8×10カメラのカートを引きずり、撮影場所で天候が変わるのをひたすら待つ時間も悪くないと感じている。



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