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ふとしたきっかけで
食器棚にしまいこんであった一客の器と再会した。


シリーズ名は「インドの華」。
ハンガリーを代表する1826年創業、ヘレンド社のカップ&ソーサーだ。

細くひかれた曲線がインドに咲く美しい花々を描き出す。
その神秘なまでの異国情緒は、一杯のお茶と共に多くのひとを魅了してきた。
ヘレンドに多額の投資をいとわなかったロスチャイルド家の人々は、
誰よりもこの器を愛していたに違いない。


ブランドの印象とは不思議なもので、古くから変わらず造られてきた製品には
何かそこに特別な重みを感じてしまう。

それは過ぎ去った時間の重みなのだろうか。



そういえばこのカップでまだお茶を飲んだことがなかった。

雨上がりの朝、インド高地から荷車に積まれ運ばれた季節の花。
滴が残る葉の隙間から漂う甘い香り。

湯気の向こうに、そんなが情景が浮かぶかもしれない。





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東京の繁華街、駅に面した花屋の前。
人を待つ間に花をぼんやり見る時間が好きだ。
何か温かな心に包まれるような気分に浸れるからだろうか。


一枚の写真がある。
ハンガリーのクーセグという街の道端で無造作に売られていた花たち。
値札には20フォリントとある。

カーネーションが微笑みながら自分に話しかけてきた。
「何処から来たのですか。あまり見慣れない顔ですね。
もう何時間もこうして此処にいるので、少し疲れました。
どなたかそろそろ私たちを連れ出してほしいのですが。」

旅行者の自分は残念ながら願いをかなえてあげられなかった。

近くに売主がいたのかその時はわからなかったが、
その素朴な風情にしばらく見とれカメラを向けた記憶がある。


カーネーションをハンガリー語で「szegfű」という。


あの時はまだ彼等の名前すら知らなかった。





 【No.92】Trabant  2017/03/05 (Sun)
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小さな車が、その場所に静かに停車していた。
1993年、ハンガリーの田舎町で撮影したトラバントの姿だ。

当時のハンガリーでは普通にこの車を見かけることができた。
というか、少し古さを残していたがまだ現役だった。

この車の後ろに馬車が並んで停まり、馬が車を食べていた。
現地に住む知人からそんな笑い話を聞いた。

製造末期に品質が下がり、プラスチックに紙パルプを混ぜて使われていたことから「ボール紙製の車」と言われたからだ。


この車の素朴で実直な姿を見ていると、学生時代に東北の田舎町で一緒に遊んだ
友人を思い出す。不器用で何かに秀でているわけでもない。
ただ側にいて、その日あった話をするだけで妙に安心した。
あまり口に出さなくても心の中で繋がっている、そんな存在だった。


東欧の何処かで、まだ元気な姿で走り回っているだろうか。
トラバントにまた会いたい。



※1958年から1991年まで生産された旧東ドイツ製の車。
「衛星」を意味するその名前は1957年に打ち上げたソ連の人工衛星
「スプートニク」から命名されている。






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ハンガリーの片田舎、エゲルという小さな街へ数日間滞在した。
1993年。まだ自分も若かった頃だ。

ブダペストの知人に数人の地元に住む友人を紹介され、
そのなかにティミという女性がいた。
彼女は20代の学生だったと思う。

言葉の通じない自分に、片言の英語で熱心に街のいろんな場所を
案内してくれた。
街にある名所やミナレット、周辺の葡萄畑や湖。夜は友人達とクラブへ行き、
ダンスのうまかった彼女は私の手をとり一緒に踊ってもくれた。
フロアにはACE OF BASE のTHE SIGNが響いていた。
言葉の不便さはあったけれど、お互いに何とか気持ちを伝えようと
懸命だった気がする。


数日が過ぎた旅立ちの日。
ティミは自身の住むアパートメントに私を案内してくれた。
部屋へ入ると彼女は引き出しから1枚の写真を取り出した。
それは制服を着た彼女がひとり写っているモノクローム写真だった。
その写真を裏がえし、自分宛のメッセージを記してくれた。


思ってもみなかった行動だった。
自分は少し照れながらその様子にカメラを向けた。
今思い返すと、その時本当は照れるどころか感動して熱くなっていた気がする。
ファインダーが揺れていた。


あれから長い年月が過ぎた。


ティミは今どうしているだろうか。
いつか日本へ行ってみたい、そう言っていた。


瞼の奥にティミの笑顔が映る。



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ケーブルカーで数分、小高い丘を登るとかつての宮殿「ブダ王宮」だ。


この高台からブダペストの代名詞、ドナウにかかる「鎖橋」とその対岸に広がるペスト地区の美しい景色が見おろせる。


戦争の悲劇で破壊されたこともあるというこの橋だが、
今はライトアップされた姿が見る者を癒してくれている。


ブダペストに住む知人からハンガリーについて教えられた言葉を思い出す。

「ワインに例えるならハンガリーはひと時赤に染まった。
 ただ心は完全な赤にはならなかった。ロゼくらいには
 なったかも知れないが。」


今日も鎖橋は静かに輝いているだろうか。




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観光客姿を見ることのないブダペストの街はずれ。
見知らぬ国での緊張感。
「人民競技場」と名付けられたひと気のない地下鉄駅。

1週間ほど滞在した場所はホテルではなく賃貸ルームで、大きな通りに面した角地の2階だった。

地下鉄の駅からは幾分離れていて、地図を捜しながらたどり着いた時にはぐったりした記憶がある。部屋はそれなりに整っていたが初日からトイレの水洗の具合が悪く、それは自分で直す必要があった。

今思い返すと、それまでの長旅でホテル住まいが続いていたせいか、少し古びたその部屋が妙に落ち着けた気がする。
そこを起点に何日か地方へ行き、もどって来たときには安堵感があった。

深夜、部屋の窓から静まりかえった車道にLEICA M5を向けて、スローシャッターをきる。

モノクロームの光が交差する静かな夜だった。

もうこの場所に来ることはないかもしれない。
ただ此処でいま感じられる空気と、静かに刻まれる時間を忘れたくないと思った。



「Népstadion ネープスタディオン」
地下鉄内でそうコールされると、あの部屋がある街に着く。



※2004年この駅名は「stadionk」に改名された。






 【No.27】エゲル  2014/06/21 (Sat)
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ハンガリー北東部にエゲルという美しい街がある。

ブダペストに住む知人の案内でこの街に数日滞在した。
ワインが有名で近郊には沢山のワイン畑が広がっている。

夜、街の中心部から歩いて1時間程の山あいにある「美女の谷」という場所へ出かけた。
1時間も歩けたのは、若かったのかもしれない。

山の斜面に設けられたいくつもの洞穴。そこはワインを貯蔵すると同時に簡易な酒場になっていて、店ごとに違うワインを出している。

ハンガリーワインといえば甘口の貴腐ワインが有名だが、エゲルではもちろん他にもいろんなワインがあり、好みによりテイストを楽しめる。

私達一行がたどり着いたのは、年配で気さくな風情の主人がいる酒倉だった。
自分でも相当飲んでいるのか赤い顔で自慢のワインをすすめてくれた。
気分をよくした私はお土産に一本の赤ワインを買った。
帰り途は酔っていたのと、バカな話で盛り上がり早かった気がする。


テレビでよく見るフランスのワインシャトーとは全く違うのだが、ハンガリーの片田舎で飲んだワインの一夜は、酒をつくる人と飲む人が一体になれる何とも味わい深い経験だった。


月がきれいな夜、またエゲルでワインを飲みたい。




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ハンガリーには海がない。
ハンガリーにとっての海はバラトン湖だ。
大きさは琵琶湖にはおよばないが中央ヨーロッパ最大の湖である。
夏には国内の各地から家族連れが避暑に訪れる。


湖岸にあるバラトンフュレドで予約したホテルに入った。
当時は手紙でホテルを予約して訪れたことが懐かしい。
予約していたのは地元の小さなホテルで、ハンガリー語のほか
ドイツ語が少し通じるだけだった。
一旦予約はされていないと断わられたが、手紙があるはずだ探して
ほしいと片言で伝えたところ、見慣れない東洋人からの手紙が
フロントデスクから出てきた。

何とも喜劇のような一幕だったが、数ヶ月前に自筆で書いた手紙を
遠いハンガリーの田舎町で発見した時には何故か感動した。



翌日対岸の街シオフォクまでフェリーに乗って湖を渡る。
数キロしかない短い船旅だ。
途中ティハニという美しい半島が遠方に広がる。

船上でぼんやりと時間軸の違う東京のことを考えていた。



1993年、逆光に照らされたまばゆい水面を見ながら、
静かなひと夏が過ぎていった。





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