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ひとつの風景が100年そのままで残されることは少ない。
建物や壁など部分として残ることはあっても、
それを取り囲む「風景」として捉えた際には変化が余儀なくされる。

自分が撮影した場所も、わずか10年足らずのあいだにいくつかその背景を
変えてしまった。時の流れは誰にも止めることは出来ない。
無力な傍観者には、その風景を記録として残すしか手だてはないのだろうか。


Rue Gustave Geffroy
その場所は織物で有名なゴブランの建物裏手にある 。
パリにある私の好きな「通り」のひとつだ。

通りは緩やかにカーブしていて、静かで人影も少ない。
曲がり角の向こうには白い女王と呼ばれたお姫さまの城跡がある。

晴れた日の午後、この通りの手前に三脚を立て撮影前に深呼吸をする。
木の葉を揺らす風。そのひとときが、自分には至福のときだ。
この場所に出会えて良かった、こうしてまた会えて良かった。
その気持ちは不思議なくらいピュアで内側から身体全てを包みこむ。


撮影当時は右手壁の向こう側が緑で覆われていて安らいだ雰囲気を演出してくれていたが、最近のストリートビューで見ると、その緑の敷地にモダンな新しい建物が建ってしまった。
こうした注目されにくい場所が姿形を変えてしまうのは、残念で仕方がない。


私たちには見ることができない100年後の風景を想う。
残されるもの、消え去るもの、形を変えるもの。
その時々の風景に寄りそって私たちの生活がある。


今を生きる自分たちに必要なのは、今を見つめることなのかもしれない。




※No.100ということで100年後の風景について考えてみました。
このブログも、私自身も、読んでいただいている皆さんもいない100年後。
それぞれが生きた証を何か残せたらいいなと思います。





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「すみません、助けてほしいのですが」
私は通りすがりの若い男性に片言の英語で声をかけた。

相手の返事を待たないうちに、私は教会の入口にあるスクーターに駆け寄った。
スクーターはロックされていて持ち上げなくては動かすことが出来ない。
前輪側を抱えた私は男性に後輪側を持ってもらえるように目配せする。
事の顚末を理解しないまま男性は一緒にスクーターを持ち上げてくれた。
途中男性が「これはあなたのスクーター?」と声をかけてきたが、
私は「ノン」とだけ言いそのまま引きずっていく。
ふたりで力まかせにスクーターを20メートルほど先の場所まで引きずった。

やっとのことでスクーターを移動した後、彼に「ありがとう」とお礼を言った。
そして自分の三脚にのせた8×10のカメラを指差す。
ここまできて彼はようやく自分が何のためにスクーターを抱えさせられたのか
理解したようだった。
撮影したい画面にスクーターがあり、邪魔だったのだ。
私は頭をさげながら彼に微笑んだ。
男性もまた苦笑しながら、ひとこと「グッドラック」とその場から去っていった。


この写真を撮影する5分前、そんなことがあった。


そして撮影後、私はその場に立ち尽くしていた。

・・・スクーターをもとの位置にもどせるだろうか。




 【No.98】Robert Capia  2017/04/15 (Sat)
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2012年10月にパリでひとりの人物が他界する。

名前はロベール・キャピア。1934年マルセイユ生まれ。
パリ右岸にあったアンティーク人形店の店主だ。


当初は役者を目指していたが断念し、1966年からパリ右岸のパサージュ、
ギャルリー・ヴェロ・ドダへ店をかまえた。

アンティーク人形に特化した彼の店は人気をえて、
俳優や政治家の友人たちで賑わっていたという。

そんな中で特に仲の良かったひとりの女性が頻繁にこの店を訪れている。
女優のカトリーヌ・ドヌーヴだ。
彼女はこの店のファンで、時間のあるときは店員の真似事をして
客を驚かせていた。


そんな逸話のあるこの店も2004年には終わりを告げることになる。
それから8年後、彼は還らぬひととなった。


ロベール・キャピアが人形とともに追いかけた夢。

今はなきこの店にはパリのエスプリが詰めこまれていた。


私たちの未だ見ぬ世界で、今頃彼は人形と戯れているかもしれない。




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パリにはかつて沢山のパサージュが存在していた。
建設され始めたのは1800年前後のことだ。

ほとんどは改修されて姿を消しているが、
今でもいくつかのパサージュは現役でその役割を果たしている。


パサージュ・ジュフロワとヴェルドーは
その中で今も当時の面影を残す琥珀のような存在だ。

ふたつのパサージュは小さな階段で左に折れ曲がり繋がっていて、
通りの突当りに掲げられた時計の上には竣工した年の1846という数字がある。
この数字が物語る長い年月に感動せずにはいられない。


ひとが求めているのは新しいものだけではない。
デジタル時代にこの場所を訪れると、そんなことを考えさせられる。


夕暮れのパサージュに集う観光客。

100年前も同じ光景が見られただろうか。




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時は儚く、時は繰り返される。

それは意図せず私たちの前に現れる。


看板の外されたレストラン。

ひとつの店が時代と共に終わりを告げる。


この店の灯がともっていた頃に時間をもどせるなら、
アールデコのドアノブを引いてみたかった。


心の中でピアノの優しい調べが右岸の片隅をつつむ。





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パリの地下鉄はセーヌ川の地下を渡り右岸と左岸を繋いでいる。
ちょうどその中間にある駅がシテ島のCité駅だ。


数十年前に初めてこの駅に降りた時、まるで迷宮へ降りた感覚に陥った。

鉄の素材が地下空間へ伸びる冷やかな感触。
開業は1910年、世紀末のデザインが結実した頃だ。

地下の大空間は、見方によっては舞台装置のようにも見える。
大きな階段からドラマの主人公が登場しても不思議ではない。


開業から数十年後のパリ。
ナチス政権下では地下空間がレジスタンス運動の拠点となった。
現実のドラマがパリの地下で展開されることになろうとは
誰も想像していなかったことだろう。


パリの建物に使われている石は地下から掘り出されたものが多いという。

全ては地下から始まっている。

そして未だ見ぬ地下の迷宮がパリに眠っている。





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「おまえは何処に行きたいんだ。」

「おれはこのあと美味いものが食えるなら、何処でもいい。」

「そうか、でもこの地図じゃあわからないな、レストランは載ってない。
 まあいいさ、ともかく街外れがいい。安くて美味い店があるはずだ。」


 もちろん二人の会話が聴こえたわけではない。
 昼時前、私も腹がへり、そんなことを考えていた。





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ドーヴィルへはここから列車にのる。
私自身は行ったことがない。

そういえばクロード・モネはこの駅のホームから絵を描いている。
その頃はまだ蒸気機関車が走っていた。



街行く人々は何かに追われるように足早に去って行く。
仕事の途中なのか、これから目的地まで移動するためだろうか。
空気の冷たさが身をこわばらせるのか、うつ向き加減に前を通り過ぎる。

今日が何日なのか、すぐに浮かんではこなかった。
仕事のこと、それさえも頭をよぎらなかった。

こうしてこの場所に立っていること。
それだけだった。

頭と身体のハードディスクに、この場所の空気が刻みこまれる。
何年か後には、その記憶も引き出せなくなるのかも知れない。

駅から発つ列車のように、この場所から離れる必要があるのは確かだ。


空には、幾筋かの飛行機雲が見えていた。
その日は帰国する何日か前だった気がする。


時間と場所を時折再生する。

午後2時10分 サン・ラザール駅。





 【No.86】境界  2016/12/28 (Wed)
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境界にほど近い一本の道のり。
フェンスや目に見える塀などはない。

パリ市内の境界まではわずかの距離だ。
地図で確認するとパリの境界をしめす太い線が
すぐ近くに記されている。


時折、環状に走る電車が行き過ぎる。
ひとはまばらで静けさが雨上がりの街を包み込む。


繋がる地。

ひとはそれでも境界をつくり、何かを確かめ合う。


テレビでは国の境界を乗り越える難民が映し出される。
受け入れる人たちと、それを拒む人たち。


2016年から2017年へ。
繋がる時間の境界までは間もなくだ。





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サクレクール寺院がある小高い山、パリ モンマルトル。

見晴らしの良さだけでなく、数々の画家たちが住み画題となったことも
人気のひとつだ。


このモンマルトルで働きそこに住むひとたちにとっては、どんな場所なのか。

生活にはこの急斜面が苦になることもあるだろうし、歩き通うには辛い道のりだ。

それでも高台からふと眺める街並みは、自分の歩みを振り返る際に
役立つかもしれない。
恋愛に悩んだとき、家族と別れ辛いとき、これから先の生き方を考えるとき。


遠くを見つめる。こころを打ち明ける。


今日もこの場所に人が集う。
そしてモンマルトルで語りあう人たち。





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