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柔らかな日差しと
すり抜ける風が心地よい午後だ。

パリ9区。
タイブー通りから少し入った場所に、
かつて芸術家たちが多く住んでいた場所がある。

Square d'Orléans / スクワール・ドルレアン

そしてここは、フレデリック・ショパンが
1842年から7年の歳月を過ごした場所でもある。


病に臥せりヴァンドーム広場に面した家でこの世を去ったショパン。
1849年、39歳だった。


スクワール・ドルレアンで彼が過ごした日々。
ジョルジュ・サンドや仲間たちと
芸術について語り合っていたのだろうか。
数年後に訪れる自らの死期を悟っていただろうか。


この場所に佇むと目の前の景色にショパンの眼差しがオーバーラップする。
彼もここで同じ光景を見ていたかもしれない。


アパルトマン中庭にあるシンボリックな2本のマグノリアの木。
そしてその間にある青銅色の美しい噴水。
しなやかさと優美さのなかに独自の強さがある。


それはショパンのワルツを奏でるかのように、
今も水と光を輝かせている。




 【No.138】音が降る  2018/01/27 (Sat)
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荘厳な幾何学模様と突きぬける天井の傍ら
巨大な生物の体内に連なるパイプオルガンが響く


音が降る


悪魔の嘆きか 天使の囁きか


旅人に差し伸べられる幾筋もの光が
こころの奥底に仕舞われた何かを呼び戻す


パリ1区 サン-ジェルマン-ロクセロワ教会




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セザンヌは生涯60枚以上のリンゴの絵を描いている。
セザンヌにとってリンゴの存在とは何だったのだろう。

「自然を円筒形、球形、円錐によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れる。」

というセザンヌの理論を探求するつもりはない。



リンゴは最も身近にある果物で、手にとってその様々な形が見てとれる。
色も黄色から緑、深い赤まで、その変化も日の経過により一様ではない。

この最も私たちの暮らしに溶け込み、主張し過ぎず、それでいて色形に変化があるということが大切だ。

これこそ「絵」になる存在ということだ。
セザンヌがモチーフにしたリンゴはなるべくしてなったといえる。


そもそもアダムとイヴの時代からリンゴは出現している。
そう考えると過去から現在まで、リンゴは必要不可欠なものだった。



そんなことを考えながら、ビートルズのSomethingを聴いていた。
このレコードにもリンゴのシンボルがある。
そして今使っているこのパソコンにも。

セザンヌが生きていたら、このパソコンでリンゴの絵を描いていただろうか。





 【No.135】画家  2018/01/04 (Thu)
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画家になりたい。
幼い頃、漠然とそう思っていた記憶がある。
そんな自分も物心が付くに連れ「何かになる」という話はなくなり、
現実的な学校や進学の話になっていった。


画家という職業は「身近な職業」ではない。
そもそも農耕民族だった日本では、多数の中に従属することが好まれる。
画家などという何をどうして暮らしているのかわからないひとを
受入れようとはしない気質がある。


絵画についても日本ではコンプレックスからくるものなのか、
必ず絵について意見を求められると、
「よくわからないが・・・」という前置きがつく。

「この絵は好きだ」「好きな絵ではない」という意見は稀だ。
そればかりか金額のことばかり気にする傾向がある。
まずはいくらの絵か、高い絵だから良い絵だ、という観念。

残念に思うことも多いが、一方で上野の美術館に大勢の人たちが
並んでいるのを見ると、絵画への感心の高さに驚かされる。
身近なものではなく、高尚とされるものをありがたく
崇拝するということなのだろうか。
それとも個人での美術への興味が徐々に高まっているということなのか。

ただフランスのように、芸術文化に日本の何倍もの国家予算を使っている国との比較では根本が違うともいえる。


考えかたは時代の流れで変化していくものだが、
果たして画家は今後どこまで受け入れられていくだろうか。

これから画家になろうと志をもつひと。
そんなひとが一人でも多くなれば、
もっと文化的に豊かな国になれる気がする。



棟方志功は「自分はゴッホになる」と自ら言っていた。

まずは自分の情熱を明言することかもしれない。




 【No.133】colette  2017/12/18 (Mon)
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美しい砂浜に一羽の孔雀が降り立つ。
海辺に孔雀は不釣合いだったが、
皆一様にその美しさに見惚れ話題となった。

そして時が流れ、孔雀にも砂浜を去る日がきた。



2017年12月20日、パリ サントノーレ通り213番地。
「コレット 」が20年という月日に幕を閉じる。

ファッション、トレンド、セレクト。
パリにあってその存在はシンボルとも呼べる店だった。

パリに行くたびに必ず一度はここを訪れ、店内を見てまわった。
訪れるたびに、前とは違うディスプレイや商品のラインナップに
感心させられた。
閉店を惜しむ業界のひとも多いというが、自分にとっても
大切な友人が去っていく気がして名残惜しい。



時が経てば、また違う鳥がこの砂浜に降り立ち、
人気を集めるかもしれない。

ただこの場所に降り立った一羽の孔雀の存在を
忘れることはないだろう。




※1997年「コレット」はコレット・ルソーにより設立。デザイナーブランドのコレクションをはじめアートや音楽など、卓越した視点で選ばれた商品を展開し人気を集める。カール・ラガーフェルドをはじめ、数多くのアーティストにも支持者が多い。



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木立ちをこえて池が輝いていた。


パリの南端に位置する公園では、
観光客の姿を見かけることは稀だ。

近くに学生たちが住む施設があるからか、
若者の姿をよく見かける。
近所から散歩にきている老夫婦、親子連れ、恋人たち。
周辺に住むひとたちの憩いの場所だということが
見ていて感じられる。


パリに住むということ、それはこの公園で過ごす時間が
静かに教えてくれる。


生きている喜び、悲しみ、怒り、嫉妬、歓喜。
一人ひとりが発するすべての感情を、
何種類もの花や樹木、水面に集う鳥たちが癒してくれる。
そして求める幸せが何処にあるのかを問いただす。



1865年に開園したこの公園はかつて石切り場だった。
パリにある石造りの建物たちが産まれた場所。



ここには母親のような優しさを感じさせる何かが眠っている。





 【No.120】風になる  2017/09/25 (Mon)
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駅には静けさという言葉がそぐわない。
静かだと感じていても、どこか遠くからひとの声や物音が響いている。


列車がまた一本、ホームへ到着する。

仕事や休日で移動するひと。
故郷へ帰るひと。
恋人や家族を待つひと。

それぞれの想いが、それぞれに散らばる。



駅には風が吹かない。

ひとが風になるから。





※ パリ オステルリッツ駅。1840年開業。
フランス南西部への道筋を繋ぐこの駅は
かつてはパリ・オルレアン鉄道の駅として
別名オルレアン駅とも呼ばれていた。
リモージュやボルドー、遠くはスペインへも、
この駅から列車が出る。
 【No.115】左岸の朝  2017/08/23 (Wed)
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「こんなにも長い間共鳴し合えたこと、
 それだけですでにすばらしいことなのだ。」

シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉だ。
それはサルトルというかけがえのない人物に捧げられたことは
言うまでもない。


自分はこれまで写真について何かに共鳴してきただろうか。
思い返すと、何より共鳴してきたのは陽の光だったような気がする。
とりわけ朝の光は、想い出深いものが多い。



左岸の朝。
畑仕事に向かう人のように早朝ホテルを出る。
重い荷物を抱えながら歩くパリの街角。

柔らかな陽の光が、
これから始まる一日を優しく迎えてくれる。




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それは魔女の囁きだろうか。
通過するひとや車の流れに、微かな笑みで誘いかける。


パリ16区 ロンシャン通り。

ここは教会ではない。
ましてや自らを懺悔する場所でもない。
それでも通りすがりの私たちに何かを咎めるかのように、
その婦人の彫刻は語りかけてくる。

アパート階上には普通に何人もが暮らしている。
はたして毎日此処を通りぬける住人はどんな気分なのだろうか。

しばらくすると、身なりの整った年配の紳士が扉から出てくる。
いつものことなのか、入口の彫刻など気にかける様子もない。


もしかしたらこの婦人の彫刻が話しかけているのは
限られたひとだけなのかも知れない、そんな気がした。
だとすると彫刻は自分にだけ語りかけているのか。

近寄ってじっくりと彫刻に視線をおくる。
アールヌーボー様式の草花が婦人を囲み、
表情は沈黙するかのように遠くを見据えている。



夕刻近く撮影を終えて、その日は足早にホテルへもどった。
帰り途中、地下鉄で婦人の顔が脳裏に浮かぶ。

建物に婦人が来て既に100年以上経っている。
これから先、変わることが無ければ数百年はあの場所で微笑んでいるかもしれない。

そう想うと、孤独な石の婦人にまた会いに行きたい気がした。




R0015294wのコピー🌟

そこへ映るのはただの風景にすぎない。
だが自分の求めるもうひとつの世界がそこにある。


ハーフミラーのように景色が重ねられた窓。

普段なら歩くひとや車の流れが映し出される。
海辺の街なら水平線が映るだろう。


窓の向こう側から光がささやく。
何十分の一という瞬きで自分も応える。


手を差しのべても届かない距離と時間。


ふと気づくと、窓をじっと見つめる自分に
店の中から店主が笑顔で反応している。

向こう側にある、もうひとつの現実世界。

こういう時は苦笑し、その場を取り繕うしかない。





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