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木立ちをこえて池が輝いていた。


パリの南端に位置する公園では、
観光客の姿を見かけることは稀だ。

近くに学生たちが住む施設があるからか、
若者の姿をよく見かける。
近所から散歩にきている老夫婦、親子連れ、恋人たち。
周辺に住むひとたちの憩いの場所だということが
見ていて感じられる。


パリに住むということ、それはこの公園で過ごす時間が
静かに教えてくれる。


生きている喜び、悲しみ、怒り、嫉妬、歓喜。
一人ひとりが発するすべての感情を、
何種類もの花や樹木、水面に集う鳥たちが癒してくれる。
そして求める幸せが何処にあるのかを問いただす。



1865年に開園したこの公園はかつて石切り場だった。
パリにある石造りの建物たちが産まれた場所。



ここには母親のような優しさを感じさせる何かが眠っている。





 【No.120】風になる  2017/09/25 (Mon)
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駅には静けさという言葉がそぐわない。
静かだと感じていても、どこか遠くからひとの声や物音が響いている。


列車がまた一本、ホームへ到着する。

仕事や休日で移動するひと。
故郷へ帰るひと。
恋人や家族を待つひと。

それぞれの想いが、それぞれに散らばる。



駅には風が吹かない。

ひとが風になるから。





※ パリ オステルリッツ駅。1840年開業。
フランス南西部への道筋を繋ぐこの駅は
かつてはパリ・オルレアン鉄道の駅として
別名オルレアン駅とも呼ばれていた。
リモージュやボルドー、遠くはスペインへも、
この駅から列車が出る。
 【No.115】左岸の朝  2017/08/23 (Wed)
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「こんなにも長い間共鳴し合えたこと、
 それだけですでにすばらしいことなのだ。」

シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉だ。
それはサルトルというかけがえのない人物に捧げられたことは
言うまでもない。


自分はこれまで写真について何かに共鳴してきただろうか。
思い返すと、何より共鳴してきたのは陽の光だったような気がする。
とりわけ朝の光は、想い出深いものが多い。



左岸の朝。
畑仕事に向かう人のように早朝ホテルを出る。
重い荷物を抱えながら歩くパリの街角。

柔らかな陽の光が、
これから始まる一日を優しく迎えてくれる。




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それは魔女の囁きだろうか。
通過するひとや車の流れに、微かな笑みで誘いかける。


パリ16区 ロンシャン通り。

ここは教会ではない。
ましてや自らを懺悔する場所でもない。
それでも通りすがりの私たちに何かを咎めるかのように、
その婦人の彫刻は語りかけてくる。

アパート階上には普通に何人もが暮らしている。
はたして毎日此処を通りぬける住人はどんな気分なのだろうか。

しばらくすると、身なりの整った年配の紳士が扉から出てくる。
いつものことなのか、入口の彫刻など気にかける様子もない。


もしかしたらこの婦人の彫刻が話しかけているのは
限られたひとだけなのかも知れない、そんな気がした。
だとすると彫刻は自分にだけ語りかけているのか。

近寄ってじっくりと彫刻に視線をおくる。
アールヌーボー様式の草花が婦人を囲み、
表情は沈黙するかのように遠くを見据えている。



夕刻近く撮影を終えて、その日は足早にホテルへもどった。
帰り途中、地下鉄で婦人の顔が脳裏に浮かぶ。

建物に婦人が来て既に100年以上経っている。
これから先、変わることが無ければ数百年はあの場所で微笑んでいるかもしれない。

そう想うと、孤独な石の婦人にまた会いに行きたい気がした。




R0015294wのコピー🌟

そこへ映るのはただの風景にすぎない。
だが自分の求めるもうひとつの世界がそこにある。


ハーフミラーのように景色が重ねられた窓。

普段なら歩くひとや車の流れが映し出される。
海辺の街なら水平線が映るだろう。


窓の向こう側から光がささやく。
何十分の一という瞬きで自分も応える。


手を差しのべても届かない距離と時間。


ふと気づくと、窓をじっと見つめる自分に
店の中から店主が笑顔で反応している。

向こう側にある、もうひとつの現実世界。

こういう時は苦笑し、その場を取り繕うしかない。





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パリ セーヌ川。

ここでは数々のドラマや映画が撮影された。
そして脇役として活躍した役者たちが今もひっそりと暮らしている。


鳩。フランス名はpigeon.

ときおり彼等は役者の仕事をこなし、普段は自由に過ごすのが日課だ。



芝居では監督の指示などいっさい受けず、移動したいときに自由に翔び立つ。
その気ままな演技が作品に効果をもたらし、多くの名監督に使われてきた。

私自身もここで数羽に演技してほしいと依頼したことがあったが、
その場でなかなか承諾してもらえず惨敗した記憶がある。


そんな彼等も観光客には弱いらしく、わずかなポップコーンでうれしそうに集まり、おどけた表情で踊ってみせる。まったくの気分屋だ。




陽が傾くと、舞台袖の樹木に身を寄せて静かに休んでいる鳩たち。
次回撮影では素直に出演してくれるだろうか。


シルエットの彼等から微かな笑い声が聴こえる。





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ひとつの風景が100年そのままで残されることは少ない。
建物や壁など部分として残ることはあっても、
それを取り囲む「風景」として捉えた際には変化が余儀なくされる。

自分が撮影した場所も、わずか10年足らずのあいだにいくつかその背景を
変えてしまった。時の流れは誰にも止めることは出来ない。
無力な傍観者には、その風景を記録として残すしか手だてはないのだろうか。


Rue Gustave Geffroy
その場所は織物で有名なゴブランの建物裏手にある 。
パリにある私の好きな「通り」のひとつだ。

通りは緩やかにカーブしていて、静かで人影も少ない。
曲がり角の向こうには白い女王と呼ばれたお姫さまの城跡がある。

晴れた日の午後、この通りの手前に三脚を立て撮影前に深呼吸をする。
木の葉を揺らす風。そのひとときが、自分には至福のときだ。
この場所に出会えて良かった、こうしてまた会えて良かった。
その気持ちは不思議なくらいピュアで内側から身体全てを包みこむ。


撮影当時は右手壁の向こう側が緑で覆われていて安らいだ雰囲気を演出してくれていたが、最近のストリートビューで見ると、その緑の敷地にモダンな新しい建物が建ってしまった。
こうした注目されにくい場所が姿形を変えてしまうのは、残念で仕方がない。


私たちには見ることができない100年後の風景を想う。
残されるもの、消え去るもの、形を変えるもの。
その時々の風景に寄りそって私たちの生活がある。


今を生きる自分たちに必要なのは、今を見つめることなのかもしれない。




※No.100ということで100年後の風景について考えてみました。
このブログも、私自身も、読んでいただいている皆さんもいない100年後。
それぞれが生きた証を何か残せたらいいなと思います。





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「すみません、助けてほしいのですが」
私は通りすがりの若い男性に片言の英語で声をかけた。

相手の返事を待たないうちに、私は教会の入口にあるスクーターに駆け寄った。
スクーターはロックされていて持ち上げなくては動かすことが出来ない。
前輪側を抱えた私は男性に後輪側を持ってもらえるように目配せする。
事の顚末を理解しないまま男性は一緒にスクーターを持ち上げてくれた。
途中男性が「これはあなたのスクーター?」と声をかけてきたが、
私は「ノン」とだけ言いそのまま引きずっていく。
ふたりで力まかせにスクーターを20メートルほど先の場所まで引きずった。

やっとのことでスクーターを移動した後、彼に「ありがとう」とお礼を言った。
そして自分の三脚にのせた8×10のカメラを指差す。
ここまできて彼はようやく自分が何のためにスクーターを抱えさせられたのか
理解したようだった。
撮影したい画面にスクーターがあり、邪魔だったのだ。
私は頭をさげながら彼に微笑んだ。
男性もまた苦笑しながら、ひとこと「グッドラック」とその場から去っていった。


この写真を撮影する5分前、そんなことがあった。


そして撮影後、私はその場に立ち尽くしていた。

・・・スクーターをもとの位置にもどせるだろうか。




 【No.98】Robert Capia  2017/04/15 (Sat)
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2012年10月にパリでひとりの人物が他界する。

名前はロベール・キャピア。1934年マルセイユ生まれ。
パリ右岸にあったアンティーク人形店の店主だ。


当初は役者を目指していたが断念し、1966年からパリ右岸のパサージュ、
ギャルリー・ヴェロ・ドダへ店をかまえた。

アンティーク人形に特化した彼の店は人気をえて、
俳優や政治家の友人たちで賑わっていたという。

そんな中で特に仲の良かったひとりの女性が頻繁にこの店を訪れている。
女優のカトリーヌ・ドヌーヴだ。
彼女はこの店のファンで、時間のあるときは店員の真似事をして
客を驚かせていた。


そんな逸話のあるこの店も2004年には終わりを告げることになる。
それから8年後、彼は還らぬひととなった。


ロベール・キャピアが人形とともに追いかけた夢。

今はなきこの店にはパリのエスプリが詰めこまれていた。


私たちの未だ見ぬ世界で、今頃彼は人形と戯れているかもしれない。




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パリにはかつて沢山のパサージュが存在していた。
建設され始めたのは1800年前後のことだ。

ほとんどは改修されて姿を消しているが、
今でもいくつかのパサージュは現役でその役割を果たしている。


パサージュ・ジュフロワとヴェルドーは
その中で今も当時の面影を残す琥珀のような存在だ。

ふたつのパサージュは小さな階段で左に折れ曲がり繋がっていて、
通りの突当りに掲げられた時計の上には竣工した年の1846という数字がある。
この数字が物語る長い年月に感動せずにはいられない。


ひとが求めているのは新しいものだけではない。
デジタル時代にこの場所を訪れると、そんなことを考えさせられる。


夕暮れのパサージュに集う観光客。

100年前も同じ光景が見られただろうか。




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