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柔らかな日差しと
すり抜ける風が心地よい午後だ。

パリ9区。
タイブー通りから少し入った場所に、
かつて芸術家たちが多く住んでいた場所がある。

Square d'Orléans / スクワール・ドルレアン

そしてここは、フレデリック・ショパンが
1842年から7年の歳月を過ごした場所でもある。


病に臥せりヴァンドーム広場に面した家でこの世を去ったショパン。
1849年、39歳だった。


スクワール・ドルレアンで彼が過ごした日々。
ジョルジュ・サンドや仲間たちと
芸術について語り合っていたのだろうか。
数年後に訪れる自らの死期を悟っていただろうか。


この場所に佇むと目の前の景色にショパンの眼差しがオーバーラップする。
彼もここで同じ光景を見ていたかもしれない。


アパルトマン中庭にあるシンボリックな2本のマグノリアの木。
そしてその間にある青銅色の美しい噴水。
しなやかさと優美さのなかに独自の強さがある。


それはショパンのワルツを奏でるかのように、
今も水と光を輝かせている。




 【No.139】akogare  2018/02/03 (Sat)
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欲しいものがあるとき。


何度も繰り返しその姿や形を見ては、
手に入れたときの情景を頭に浮かべる。

それは自分にとって本当に必要なものか。
明日も明後日も、一年後も必要なものか。
冷静に考える。

こうして悩んだり嘆息をもらすとき、
まだ先には希望がある。


そして恋愛にも似た
ひとときの憧れというその過程にこそ、
曖昧な幸せがある気がする。




 【No.138】音が降る  2018/01/27 (Sat)
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荘厳な幾何学模様と突きぬける天井の傍ら
巨大な生物の体内に連なるパイプオルガンが響く


音が降る


悪魔の嘆きか 天使の囁きか


旅人に差し伸べられる幾筋もの光が
こころの奥底に仕舞われた何かを呼び戻す


パリ1区 サン-ジェルマン-ロクセロワ教会




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滑らかな口当たりの一杯。
そう一言でいってしまうには
言葉がたりない。


ウィーンの街を喉をからして歩いた記憶がある。
数十年前の暑い夏だった。
カフェへ入っても、よほど高級店でないかぎり
氷の入った水は出てこない。

地元のひとが集まる安いカフェに入る。
一杯のコーヒーが、潤いと安らぎを差しだしてくれた。



ネルドリップには奥深い味わいを出す魔法がある。
繊維の奥に秘められた長い時間を、珈琲豆が短時間で
タイムスリップする。


時間を巻き戻せるなら、
ウィーンで味わったあのコーヒーに
また巡りあいたい。


そう思うと、ウィーンがネルで
自分が珈琲豆のような気がしてきた。
タイムスリップはできないけれど。





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セザンヌは生涯60枚以上のリンゴの絵を描いている。
セザンヌにとってリンゴの存在とは何だったのだろう。

「自然を円筒形、球形、円錐によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れる。」

というセザンヌの理論を探求するつもりはない。



リンゴは最も身近にある果物で、手にとってその様々な形が見てとれる。
色も黄色から緑、深い赤まで、その変化も日の経過により一様ではない。

この最も私たちの暮らしに溶け込み、主張し過ぎず、それでいて色形に変化があるということが大切だ。

これこそ「絵」になる存在ということだ。
セザンヌがモチーフにしたリンゴはなるべくしてなったといえる。


そもそもアダムとイヴの時代からリンゴは出現している。
そう考えると過去から現在まで、リンゴは必要不可欠なものだった。



そんなことを考えながら、ビートルズのSomethingを聴いていた。
このレコードにもリンゴのシンボルがある。
そして今使っているこのパソコンにも。

セザンヌが生きていたら、このパソコンでリンゴの絵を描いていただろうか。





 【No.135】画家  2018/01/04 (Thu)
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画家になりたい。
幼い頃、漠然とそう思っていた記憶がある。
そんな自分も物心が付くに連れ「何かになる」という話はなくなり、
現実的な学校や進学の話になっていった。


画家という職業は「身近な職業」ではない。
そもそも農耕民族だった日本では、多数の中に従属することが好まれる。
画家などという何をどうして暮らしているのかわからないひとを
受入れようとはしない気質がある。


絵画についても日本ではコンプレックスからくるものなのか、
必ず絵について意見を求められると、
「よくわからないが・・・」という前置きがつく。

「この絵は好きだ」「好きな絵ではない」という意見は稀だ。
そればかりか金額のことばかり気にする傾向がある。
まずはいくらの絵か、高い絵だから良い絵だ、という観念。

残念に思うことも多いが、一方で上野の美術館に大勢の人たちが
並んでいるのを見ると、絵画への感心の高さに驚かされる。
身近なものではなく、高尚とされるものをありがたく
崇拝するということなのだろうか。
それとも個人での美術への興味が徐々に高まっているということなのか。

ただフランスのように、芸術文化に日本の何倍もの国家予算を使っている国との比較では根本が違うともいえる。


考えかたは時代の流れで変化していくものだが、
果たして画家は今後どこまで受け入れられていくだろうか。

これから画家になろうと志をもつひと。
そんなひとが一人でも多くなれば、
もっと文化的に豊かな国になれる気がする。



棟方志功は「自分はゴッホになる」と自ら言っていた。

まずは自分の情熱を明言することかもしれない。




 【No.134】師走の月  2017/12/25 (Mon)
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三田の駅から数分歩き、細い路地に入った。

古風な赤い暖簾をくぐり、カウンターのみ8席ほどの店へ入る。

まん中の空いている席に目線をおくると、
中にいた女主人が話しかけてきた。

「もう定食は出来ないけど」

「かまいません、いいですか?」

「8時30分までだけど」

時計はもうすぐ8時になろうとしていた。

「大丈夫です」

そう言って背広姿の自分たち二人は
ほかの客の間に座った。


メニューはいたって少なかったが、
焼餃子と水餃子、それぞれ一皿ずつ注文した。

オーダーして私たちの前に餃子が出てきたのは
15分ほどしてからだったろうか。
女主人ひとりでの切りもりなので苦にはならなかった。


一皿には6個、二種類の餃子を連れと話しを交えながら交互につまんだ。

皮の部分は厚みがある。
見た目は特に珍しい餃子ではなかった。
あえて言うなら普通のスリムな三日月型とは違い、
こんもりとした半円形をしているのが特徴的だ。

しかしひととき口に入れると、
そのふんわりとまろやかな食感に気付かされる。
ニンニクとニラ、そして豚肉との絶妙なバランス。
肉汁が口の中で弧を描く。

一本の瓶ビールと共に、ふた皿の餃子が15分ほどで腹に消えた。


時計の針はすでに8時30分を回っていた。


「すみません、会計を」
食事をしながら実は営業時間が8時までだったということを知り、
女主人に申し訳ない気がした。


「美味しかったです」
「次回はもう少し早い時間に来ます」

それを聞いた女主人は初めて笑顔を見せながら釣り銭を手渡してくれた。



店を出てから振り返ると、
古くて温かな昭和の佇まいがそこにあった。

そういえばこの店には名前がない。
暖簾に「餃子」という文字が書かれているだけだ。


店名が必要ない訳は、この店を訪れるとわかる。

あえて名前を名乗らず、
必要以上に媚びることなく、
出来ることを丁寧に行い、
目立つことを望まない。

そんな誰しも出来るようで、
できない仕事、生き方がここにある。



帰り道、月が店を照らすかのように
ほんのりと輝いていた。

師走の月が餃子の形に見えた。





 【No.133】colette  2017/12/18 (Mon)
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美しい砂浜に一羽の孔雀が降り立つ。
海辺に孔雀は不釣合いだったが、
皆一様にその美しさに見惚れ話題となった。

そして時が流れ、孔雀にも砂浜を去る日がきた。



2017年12月20日、パリ サントノーレ通り213番地。
「コレット 」が20年という月日に幕を閉じる。

ファッション、トレンド、セレクト。
パリにあってその存在はシンボルとも呼べる店だった。

パリに行くたびに必ず一度はここを訪れ、店内を見てまわった。
訪れるたびに、前とは違うディスプレイや商品のラインナップに
感心させられた。
閉店を惜しむ業界のひとも多いというが、自分にとっても
大切な友人が去っていく気がして名残惜しい。



時が経てば、また違う鳥がこの砂浜に降り立ち、
人気を集めるかもしれない。

ただこの場所に降り立った一羽の孔雀の存在を
忘れることはないだろう。




※1997年「コレット」はコレット・ルソーにより設立。デザイナーブランドのコレクションをはじめアートや音楽など、卓越した視点で選ばれた商品を展開し人気を集める。カール・ラガーフェルドをはじめ、数多くのアーティストにも支持者が多い。



 【No.132】木立ち  2017/12/13 (Wed)
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季節が巡ることは、日々の生活をおくる私たちに
何かを伝えようとしている。

同じ繰り返しのように感じていても、
少しずつ何かは変化している。

立ち枯れた樹木、成長した枝と新たな芽吹き。
取りまく気温も昨年とは随分と違っている。

それは私たちにも当てはまる。
しばらく会っていない人が亡くなる、
近くにいた仲間が転勤する、子どもが生まれる。

テレビの見方、雑誌の買い方、会話の仕方。
世の中が変化することに、否応なく私たちも合わせて
暮らしている。



年の瀬が近づく。

来る年も何かが変わるだろう。

ただ、こころの中では
変わらないものを
抱き続けようと感じている。




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街角でつい後ろを振り返ってみることがある。

それは香りの旋律を感じた時だ。



ブランドのバッグや靴などは積極的に取り入れる日本人女性も
香水やオー・ド・トワレとなると急に消極的になる。

人種として体臭が弱い日本人は、そもそも匂いというものに敏感な気がする。

どちらかというと香りそのものを嫌っているひとも多い。
ある時は蔑むように「臭い」という一語で評価しがちだ。

では本来の日本人はというと、平安時代の昔から貴族を中心に
お香をくゆらせ、部屋や衣服へ「移香」することを楽しんでいた。

そうした歴史があるものの、香りの文化は日本に根づかないままのようだ。



決して強い香りでなくていい。
日本人に合った、ほのかな香りとでもいうのか、
そのひとに合ったイメージの香りを纏うのも
おしゃれの一つではないだろうか。


それこそが自分だけの旋律を奏でることだから。





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雑誌やテレビでラーメン店が紹介されると、
日本人のラーメン好きがよくわかる。
街中でもいたるところに店舗がある。


ロンドンの繁華街にも数は少ないがラーメン店がある。
そしてそこにも何故か日本人が集まる。
理由はいくつかあり、価格が他のレストランに比べて安いこと
(日本と比べると決して安くはないが)、
食べ慣れていること、日本語が通じることなどだ。
味といえば並といったところか。


笑ってしまうのは、何人かの日本人旅行グループが
自由行動で昼食時に同じラーメン店で偶然に顔を合わせてしまうこと。
ガイドブックを片手に結果的に同じ道を選んでしまう。
安心ということに弱い、いかにも日本人らしい行動と言える。
かく言う自分も友人と別々に観光していた際、
たまたま入ったラーメン店で顔を合わせてしまったことがあり
苦笑いしてしまった。


英語が通じること、時間や決められたことを守ること、
これらはロンドンが馴染みやすい理由かもしれない。



自分にはあまり魅力的に感じられなかったロンドンだが、
休日の東京で昼食時にひとりラーメン店にはいると、ふと思い出す。


この季節は東京よりも気温が下回るロンドン。
寒空の下いまも誰かが似たようなものを食べているのだろうか。





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Eva Cassidy


彼女が若くして亡くなったことを美化するつもりはない。
その演奏に耳を傾けるとき、スローな詞をかみしめるような歌声が
混沌とした現代を優しく包みこむ。



「枯葉」というとイヴ・モンタンやエディット・ピアフが取り上げられるが、
エヴァ・キャシディの「枯葉」には、彼女にしか表せない世界がある。


ひとりの女性が積み重なる落ち葉に自分を投影する想い。
暖炉に揺れる炎を見つめるように、
それは形作られることのない過去との会話を語りかけてくれる。



短い秋から冬へ。うつろう季節のなかで、
エヴァ・キャシディという一枚の落ち葉を
見つけてほしい。



※エヴァ・キャシディ
1963年米国生まれ、歌手、ギター奏者。
1996年11月、病いにより33歳にしてこの世を去る。





 【No.128】記憶  2017/11/20 (Mon)
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忘れられないことがある

また誰しもいつの間にか忘れていることがある

記憶には強さがあるのだろうか


数十年という限られた年月の間
どれだけの経験が忘れ去られたのか


形あるもの ないもの
ひとの命が絶えて残されるもの

消え去らないものには
生命の強さがあるのだろうか



足もとにある落ち葉の輝きは
生きる源を絶たれたのちも
最期の美しさを届けてくれている





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誰にとっても過ぎ去った若き時代というのは、気恥ずかしさが
あるような気がする。
希望に満ちた10代、そして社会と関わりをもった20代。

自分にも弱さと葛藤のなか、時間だけが経過する年月があった。



社会人になって間もない頃、お世話になった写真機材を扱った店の店主から
小さな1枚のモノクロコピーをもらった。
店主は「これはきっと役に立つから」とだけ言い、差し出してくれた。

そこには写真と簡単な文章がそえられていた。

写真は映画監督の黒澤明氏だった。
そしてこう記してある。


  みんな、
  自分が本当に好きなものを
  見つけてください
  自分にとって本当に大切なものを
  見つけるといい
  見つかったら、その大切なもののために
  努力しなさい


そのときは、良いことを言うな、
というくらいにしか感じられなかったが、
店主の心遣いに深々と頭を下げてその場を立ち去った。



そしてそんなエピソードから数十年が経った。

もう店主はいないかも知れない。
あの時、店主がどうして自分にコピーをくれたのかは
今でもわからない。
ただ小さなモノクロコピーは今も手元に残っている。



時折そのコピーを読み返しては自問する。

自分にとって本当に大切なものは見つけられたのか。
そして大切なもののために努力してきただろうか。


答えは自分の中にある。





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好きなひとへの想いを手紙に書いたことはあるだろうか。

大正10年10月。
「白蓮事件」と世間を騒がせた柳原白蓮の逃走。

白蓮(燁子)から恋人・宮崎龍介へあてた手紙は実に700通におよぶという。

いまでは電子メールやSNSといった通信手段が手軽に使われる時代だが、
当時の郵便事情でのこの数には驚くほかない。



「好きな好きな手紙を下さい。
見度い見度い。わたしの人。
恋しうて 淋しうて なつかしうて 悲しうて 
どうしたらよいやら」


恋は盲目という言葉があるが、
一途な燁子の想いが突き刺さる文だ。


96年前の10月、「恋」という一文字を胸にしまい出奔した燁子。

時代の流れ、過去など顧みず、自分の信じる道を
駆けていったひとりの女性の生き様と凛々しさ。


その波乱に満ちた生き方が今もこころに響く。





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木立ちをこえて池が輝いていた。


パリの南端に位置する公園では、
観光客の姿を見かけることは稀だ。

近くに学生たちが住む施設があるからか、
若者の姿をよく見かける。
近所から散歩にきている老夫婦、親子連れ、恋人たち。
周辺に住むひとたちの憩いの場所だということが
見ていて感じられる。


パリに住むということ、それはこの公園で過ごす時間が
静かに教えてくれる。


生きている喜び、悲しみ、怒り、嫉妬、歓喜。
一人ひとりが発するすべての感情を、
何種類もの花や樹木、水面に集う鳥たちが癒してくれる。
そして求める幸せが何処にあるのかを問いただす。



1865年に開園したこの公園はかつて石切り場だった。
パリにある石造りの建物たちが産まれた場所。



ここには母親のような優しさを感じさせる何かが眠っている。





 【No.124】Cavatina  2017/10/21 (Sat)
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心がつながるひとと
時には手をとり
橋を渡ろう


イヤホンをふたり
片耳づつ手をそえて
Cavatinaを聴けば


忘れかけた冬の温もりが
ギターの響きと共に
重ねた手から伝わる




※Cavatina
イギリスの作曲家スタンリー・マイヤーズによる曲。
映画「ディア・ハンター」(1979年)のテーマ曲としても知られる。




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金木犀の小さな妖精たちが放つ芳香。

その数秒の出来事が一年に一度、自分を導く。



姿や形が見えない花の香り。

調香師、ソムリエ。音楽家。
見えないものを追いかける人たちがいる。


あるフランス人の調香師はこう言っている。
インスピレーションは心をオープンにして、いろんなことに関心を持つこと。
調香は芸術でもあり、言語や概念にはすべて還元しきれない。


見えないものの捉え方。
それは永遠のテーマだ。


写真機が進化した今日、私たちに求められる共通の鍵が
そこにあるような気がする。





 【No.122】Serenade  2017/10/09 (Mon)
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風が水面を誘い

波紋が揺れて

光がプリズムを描く


Schubert "Serenade"


その甘美な世界に

たどり着けない何かを感じる


それは白鳥が舞う
死と隣りあわせの歌だからだろうか





 【No.121】折り紙  2017/10/01 (Sun)
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海外へ旅行した際、親しくなったひとへ折り紙を
渡したことはないだろうか。

自分も過去に鶴の折り紙を上げたことがある。

そのへんにあった紙きれで簡単に折られた鶴。
果たしてこんなものでと思ったものだが、
鳥の造形に変化した小さな紙きれを嬉しそうに
手にとってくれた。


丁寧に折られ温もりを感じる紙の鶴。

見返りを求めない愛とでもいえるのか、
負担にならずさりげないのがいい。


あまり出しゃばらず控えめな優しさ。

数字に置きかえると1ではなく0から1までの間。

その間に美しさがあるような気がする。




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