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左右対称(シンメトリー)という魔力ともいえるバランスに
私たちはどれだけ翻弄されてきたのだろうか。

私たちを取り巻く自然界に左右対称のものなどあるだろうか。
一見対称的に見えるものも、正確には対称でないことが多い。

人は皆、左右対称に憧れ、そこから安定感を得ようとする。

しかし一方で不均衡であるが故に、それを修復しようとして
努力し何らかの力を発揮することもある。


5対5というバランスでなくていい。
それらが調和のとれた力で、全体のバランスがとれるなら
4対6や3対7でもいい。
ただどうしても不安と誘惑がつきまとい5対5に終着する。
そんな悩みに私たちは常に直面している。


左右対称の典型例は公共の建物だろう。
中でも宗教関連の建物は、そこに確固たる威厳や神聖な安堵感を求める
理由から殆どの建物がシンメトリーに設計されている。



美術作品でも左右対称のものを数多く見ることができるが、
意図して全てを対称にしていないことがある。


そこには「人が創るものの世界」から、
「創ることのできない自然の世界」へ到達する
入口があるような気がする。





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新聞紙の片隅に載っていた同姓同名のひと。
そこには確かに同じ名前が記されていた。

内容から直ぐに別人だとわかったが
一瞬の心の動揺がいつまでも消えなかった。


いま、何処で何をしているのか。
数十年前のあの頃が思い浮かぶ。

「あなたはいつもそう、もう少し周りを気にして歩けないの。」

よくそんなことを言われていた。

普段はジーンズ姿の彼女が、ふたりで映画を観たとき、
水色のワンピースを着ていたのを覚えている。


6月。 道端でムクゲの花が風に揺れていた。





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仏領ポリネシア
「タヒチ」と呼ばれるその島々へ
自分の求めるものと出会うため
ひとりの画家が旅立った

1891年のことである

ポール・ゴーギャン

志を共にした仲間たちとの別離
果てしない海との会話
椰子の木の間に思い浮かぶ故郷パリ
腕の中で眠るタヒチ女性の横顔
繰り返す波の音

それまでの苦悩は捨てきれたのか
これからの希望は見いだせたのか

どれほどの時間 自身と向き合ったのか
どれほどの時間 夢を浮かべただろうか


その答えが一枚の絵として残された
絵のタイトルは

「我々は何処から来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか」

画面には楽園に刻まれた刺青のように
象徴的な人物像とタイトルが記される


絵とともにこの世を去ろうとした画家
しかし画家にはその後も苦悩の道が与えられた


タヒチで描かれたゴーギャンの絵画
それは波のように
繰り返し今も私たちの胸に響く




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「香水はキスしてほしいところにつけるもの」
そう言ったのはガブリエル・シャネル。

この見えない装飾品に、あなたはどれだけ価値を
見いだせるだろうか。

一般的な1/2オンス (15ml)の香水で
ブランドにもよるが数万円という価格である。
決して安いとはいえない。


歴史をたどるとエジプト文明の昔から
香水は存在していたという。
用途は今とは違っていたはずだが、
古代から使われていたということが意味深い。

私たちが現在目にする、アルコールをベースにした香水は
ハンガリー王女エリザベートがはじめて作ったとされている。



香水を纏うという言葉にもあるように
それは女性が身につけるベールのようにも思える。

目に見えないベール。


紫陽花の咲く季節。
風が運んだ個性的な香りに偶然出逢えたら、
素敵かもしれない。




 【No.159】秘密  2018/05/23 (Wed)
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こころにしまい言葉にださない

そうしたほうがよいこともある

それがどうしても辛いときは

花にそっとうちあける

花はそのことを誰にも告げず

細い茎にしまいこむ

花が実をむすぶころには

風に運ばれ消えていく





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レイモン・ペイネといえばメルヘン。
その絵には愛に包まれた恋人たちが登場する。

とかく苦しい環境や不幸な出来事が絵の題材として
取り上げられやすいものだが、ペイネの絵には
それらを乗り越えた先にある「幸せ」が
軽いタッチで描かれている。

「自分たち夫妻が、ペイネの恋人たちのモデルである」
そう語ったペイネ。


1999年逝去。90歳という年月は、
彼にとって幸せなことばかりではなかったことだろう。


いつの日も悲惨なニュースを目にする度に
心を癒してくれるペイネの温かな眼差し。

それは天使のように偶然舞い降りる。




※Raymond Jean Peynet 1908年11月- 1999年1月)
フランスのイラストレーター、漫画家。




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何処へでも飛んでいける
カモメはそう思った

川沿いに続く遠い海辺
昨日いた船着場

何処へでも飛んでいける
いのちは自分のものだから


ただ忘れてはいけない

時折振り返ることを
羽が折れ飛べなくなる日のことを
休める場所など多くはないことを


あと20秒で飛び立とう
ここではない何処かへ





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deux chevaux.
かつてこれほどフランスらしい車があっただろうか。
それは1948年から42年もの間生産され続けたことこそ、
最も愛された証だろう。


第二次世界大戦、ナチス・ドイツの侵攻を受け
国土の北半分が占領地となったフランス。

開発途上だったこの車をナチスの手に渡さないため、
試作車は1台を残して破壊され、
工場の壁や地中に埋められたものもあったという。


歴史に翻弄されつつ1948年、
シトロエン2CVはパリのモーターショーで
発表されることになる。

発表当時の評価は聞くに耐えないほど悪評もあったらしいが、
70年が経った今、再評価をしていいほど印象的なデザインだ。



この車が開発された由縁は田舎の農業生活への適合だった。
開発条件のひとつで面白いのは
「おとな二人と50kgのジャガイモまたは樽を載せて走れること」
というのがある。

先日パリで懐かしいこの車にかなり大柄の老夫婦が乗っていたのを見かけた。
確かにその条件は満たしているように見えた。





 【No.155】Menu  2018/05/06 (Sun)
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それはこれから提供される料理のプロローグである


そこに記されているのは単なる品書きではない

素材のバランス、季節の共有、技の演出、
そして調理人の策略が披露される


この扉の向こう側で待ち受ける数時間の体験を
まずは想像して感じること


二皿目が頭に浮かんだら
扉に手をかける

デザートまで浮かべるのは野暮だ
誰しもフィナーレがどうなるかは考えたくない



さあ 演目はお楽しみいただけましたか





 【No.154】MÉTRE  2018/05/01 (Tue)
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1796年2月。時はフランス革命で混沌とした時代である。

パリ ヴォージラール通りの一角では役人と見られる紳士が、
集まった人々に声高く宣言し始めた。

「諸君、この場所に輝かしきフランスの栄光と世界共通の数学発展に寄与するため、本日メートルの標準器を設置する。」

その場に居合わせた人々は、はじめ不思議なものを見るように囲んでいたが、
しばらくすると、それぞれ標準器に手や腕をあわせては顔を見合わせた。

「これがメートルという長さなのですか」一人が声を上げた。

「そうだ、この場所のほかにパリ市内に16箇所これと同じものを設置する。
諸君はこれから、このメートルという単位を基準としてそれぞれの生活に
役立てるように。」

冷やかしながら話すひとの中には、この下に寝転んで長さを確認するものまでいた。




というのは作り話だが、たぶん似たような状況で
このメートル標準器が設置されたのではないだろうか。


普遍的な基準を作るため18世紀末にフランスでつくられたMÉTRE基準。
多くの人々はそれまで親しんだ基準を簡単に乗り換えられなかったため、
新しい基準を広めるためにパリ市内にはメートルの長さを示した原器が
設置された。


パリに現存するものは2箇所、もうひとつはヴァンドーム広場近くにあるが、
こちらは元の場所から移動されており、当時の設置場所のまま残っているのは
このヴォージラール通りに面したアーケードにあるものだけだ。



200年前に遡り、歴史の扉を開くのもわるくない。

「こいつがメートルって長さなんですか?」





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その音をはじめて聴いたときは
楽器というより、ひとの歌声を聴いている気がした。

イツァーク・パールマンの奏でる音色には
いつも楽器の音を超えた感情表現が身体に伝わる。

もちろんそれは彼のストラディヴァリウスをもって
叶えられているというのも事実である。


映画シンドラーのリストでは映像とのかけ合いが見事だった。
パールマン自身はイスラエル出身で、
両親はポーランドから移住したユダヤ系理髪師だ。
ことさらこの映画には思い入れがあったのだろう。
哀愁をおびた演奏が心に響く。



寒い朝、パールマンを聴きながら
カメラを片手に遠くを見つめる。

景色の向こう側には、
忘れかけていた若き日の自分が蘇る。

それはもどることのできない邂逅だ。


同じ場所、同じアングルでカメラを向ける。
何かが違っている。
おそらく被写体は変化していないのかもしれないが、
時間軸が違っている。
撮る側の意識が違っているということなのだろうか。
いやカメラそのものもフィルムからデジタルへ変わっている。

フィルム撮影にはレコード盤にも似た粒子の輝きを感じていた。
時に荒々しく、地引網のように予想外の結果もあるが、
そこには獲物を捕らえる手応えがあった。


時代おくれの邂逅とパールマン。


目の前をワイヤレスイヤホンを付けた若い女性が通り過ぎる。
時計はまもなく、午前10時になろうとしていた。





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こちらの建物は相当に立派なお屋敷で、年代もまたさぞかし古い。
真ん中の円形には女性像が飾られている。

よく見ると、像の下にある円には名前と年代が記されていた。
かつてこちらの城主だったひとだ。

MARIE DE MEDICIS
MDCXXV

マリー・ド・メディシス
1625年とある。

ルイ13世の母であり、はるばるイタリアのメディチ家から
フランスへ嫁いできた王妃だ。
ここは、パリ リュクサンブール宮殿。



彼女が改築した宮殿の内装は、
幼い頃過ごしたフィレンツェのピッティ宮殿がモチーフに
なっているといわれている。
この城を誰よりも愛していたに違いない。

しかし王妃という立場は時代に翻弄されることになる。
想いとは裏腹に最期までこの城に残ることはできなかった。

フランスを追放された後、彼女はドイツのケルンで他界した。




そんな歴史とは無関係にリュクサンブール宮殿の庭園(公園)へは
今日も多くの人々が訪れている。

ジョギングするひと、散歩する老夫婦、子どもを連れた家族。


雲の上から、マリーはどんな想いで
今の私たちを見つめているのだろうか。





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Rue du Gabon
それはパリといっても境界線に近い街はずれの場所。
この道を進み大きな通りを渡るとVille Bel-Airという場所に続いている。
1860年、線路沿いに開発された美しい住居地区だ。


ひと組の親子が通り過ぎる。

東京でよく見かける学習塾に通う子どもがひとりで歩いている風景は、
パリにはない。必ず親が同伴している。

大人と子どもの区別、親が子どもを守る責任が
そこには明確に存在している。

パリの子どもは自分がそうされたように、
自分が大人になり子どもができたら同じことを繰り返す。

自由とは何かを重んじる国だからこそ、
自由の裏側にある責任感を大切にしている。



やがて時が移り、手を引かれている子どもが親になる日が
くるかもしれない。

果たしてその時代にこうして同じ風景を見つめることは
出来ないかもしれないが、いま眼の前にいるこの親子の姿を
いつまでも記憶に留めておきたいと想った。





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ロダンは数多くの作品を手がけた


そして広大なアトリエには
多くの弟子たちもいた

アトリエから続く庭で
弟子たちは自身について考えただろうか

自分に光が当たることはあるのか

光の射す中心に立つロダンを
彼らはどんな眼差しで見つめていたのか



白い石の彫刻
それは光が射し込むことで
陰がディテールを映し出す

そしてその陰影のなかにこそ
作家が追いもとめる
内面からのメッセージがある


名もない多くの弟子たちが
長い時間をかけ創り上げた
「ロダン」という人物像


斜めから降りそそぐ陽ざしのなか
ロダンの庭でそんなことを思った





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通訳は言葉をどれだけ拾えるか

言葉というのは言の葉ですから

葉が地面に落ちるまでに何枚の葉を集められるかです

ただ全ての葉を集めることは難しいので

どれだけ拾い集めた葉で的確に全体を表せるかです






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パリの街を歩くと無数のアパルトマンに出会う。
それはどの建物も一見同じような表情だが、
一つひとつの雰囲気はどれもわずかに違っている。

建物は1900年前後に建てられたものが多く、
既に100年以上経過しているが、地震などの被害もないことから
そのままの風情が保たれている。



そんな数あるアパルトマンの一群で、外観が際立って美しいと思うのが、
パリ6区ヴァヴァン通り25番地にあるアンリ・ソヴァージュ設計の
アパルトマンだ。


白いタイルが全体を覆い、ブルーのタイルがアクセントになっている。
各階のテラスが階段状に配置されているのも美しさの一因だろう。

現代の建物としてみても、これほどデザイン的にモダンで美しいものは
数少ない。この建物が1913年に存在していたことが俄かに信じがたい。



晴れた冬の日、私はアパルトマン前の広場からこの建物をじっと見つめていた。
そして一世紀前に開花していたソヴァージュの才能に見惚れるしかなかった。



この建物が竣工した際、ソヴァージュはあのテラスから
どんな風景を観ていただろうか。

遥か雲の向こう側に100年後のパリが見えていたのかもしれない。





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パリ モンパルナス駅から線路沿いに少し歩いた場所。
そこにEglise Notre-Dame du Travail (労働の聖母教会)という
聞きなれない名前の教会がある。

鉄骨が張り巡らされた簡素な内装と地味な佇まいの教会だ。


古い教会内を見たあと、私は外の裏手にあるベンチに
しばらくの間座っていた。

ぼんやりとこの教会が建てられた頃を想像してみる。

1900年頃。
パリは万博で活気に満ちていたことだろう。
多くの建物が新築され、それに伴い大勢の労働者がかり出されたはずだ。
街の中心部に住む階級の高い人々は別にして、
低賃金の職人や労働者たちは、こうした線路沿いの地価の安い場所に
集まっていた。
そこには生活があり、苦難もあったはずだ。
この教会が求められた理由はそこにある。

ただここには裕福な寄進者など存在するはずもなく、
こうした体育館のような教会を建てるしかなかったのかもしれない。


ここへ通っていた人たちは何を祈っていたのだろうか。


働く。生きる。そして祈る。

ひとは何のために働くのか。
誰のために働くのか。
先に喜びはあるか。悲しみは消えるのか。
家族と故郷と与えられた僅かな恵みに感謝する。
そして祈る。


華やかなパリの側面には、
人知れずこうした慎ましい場所が隠れていることを
記憶に留めておきたいと想った。

大きな樹木が風に揺れていた。
やがてここにも春がくる。




※ノートルダム・デュ・トラヴァーユ(労働の聖母)教会
モンパルナス地区に定住した土木労働者や職人のために1902年に建てられた。





 【No.146】Panhard  2018/03/23 (Fri)
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深夜、左岸にある路地の一角に
これまで見たことのない車が停車していた。

丸みを帯びた曲線のデザインが美しい。

見たことのないというのは大袈裟かもしれないが、
自分の記憶の中では確かに目にした事はなかった。



後日気になって調べてみると、記憶にないのは当然だった。
既にこの車のブランドは1967年に生産を終了している。

パナール(Panhard)という
フランスが生んだ自動車メーカーの車だった。


生産終了後、すでに50年以上の年月を経ている車が
街中で普通に停まっていた。
しかもガレージに保管されているのではなく、
今もこうして愛用されている。


古い建物と現代が交差するパリ。
パナールもまたこの街に溶け込む。


それはジャズトランペットのミュート音のように
おとなの匂いがした。




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ポルト・ド・ヴァンセンヌの駅から地上にでると、
道が続く向こう側に2本の柱※が見える。

あの先はナシオン広場だ。
遠い昔、自分が立っている場所はパリではなく、
あの場所から向こう側がパリだった。
さらに昔はバスチーユ辺りからがパリだったという。


私たちが思っている以上に小さな都市だったパリ。

だが、その宝石のような都市に
ヨーロッパの他の国々、別の大陸からも夢を追いかけ人々が集まった。

そして在るものはパリという舟で帆をたなびかせ、
在るものは静かに舟を去っていった。

「たゆたえど沈まず」

パリの市民憲章にもなっているその言葉こそ、
この地の志そのものが表されている。


ひとは皆、限られたいのちを生きるしかない。
そして残るものへ、何かを伝え去っていく。

パリは私たちに何を教えているのだろうか。


見つめる先には、
シンボルとなった塔が微かに映る。


それは求めるもの、全てを受けいれるように。






※1785年建立。この場所でルイ14世が王妃を迎えたことから
「王座の円柱」と呼ばれた。2本の円柱の上には歴代王「サン・ルイ」、
「フィリップ・オーギュスト」の像が置かれている。


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主人と一定の距離を保ちながら散歩する犬がいる。
双方が信頼しているからか繋がれている様子はない。

フレンチブルドックは愛嬌があり、その憎めない表情がかわいい。
パリでも時折その姿を見かける。



2008年にこの世を去ったイヴ・サンローランの愛犬もこの犬種だった。

デザインにのぞむ彼の凛々しい表情が印象的だが、
一方で愛犬と一緒に笑顔を見せる優しい表情も写真に残されている。

彼の愛犬はMoujik(ムジーク)〔ロシア語で農民〕という名前だった。
仕事場でも一緒にいることが多かったようだ。


イヴ・サンローランが作り上げたファッションのブランド。
そしてその傍らにいた「農民」。


何かそこにパリが育んだエスプリを感じる。




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