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 【No.119】兆し  2017/09/20 (Wed)
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それは何かが起ころうとする気配。
季節の変わり目にも似た、湿度の違う空気が漂う。

このわずかな陽の光が通り過ぎると、
向こう側には灰色の一団が待ち受けている。

動物が本能で居場所を変えるように、
そのかすかな兆しが自分の前を通過する。


無意味な想像が頭をよぎる。
君は今頃、どこにいるだろうか。
行きつけのカフェで読みかけの本を読んでいるだろうか。
それともこれから行く旅の支度をしているのだろうか。



樹木の生茂る中でひとり、自分はカメラと共に立ち尽くしていた。


何かが変わろうとしている。
そんな9月の一日が過ぎていく。





 【No.118】Delete  2017/09/12 (Tue)
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もう処分しようとした古いデジタルカメラ。

旧式のメディアに何枚かの写真が残っていた。

ひとりの笑顔が蘇る。

感傷的な気持ちとラジオから流れる不釣合いな曲。


「削除」という簡単で重い言葉。

データは黒い画面となり瞬時に消え去る。



消し去ることのできない想い出が
胸のハードディスクに残る。





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アート・ファーマー 1977年のアルバム。
「The Summer Knows」

学生時代に中古レコード店で買ったこのアルバムが気に入って、
くり返し何度も聴いていた。
ジャケットの帽子写真が、古いフランス映画の一場面のようで、
それも好きな理由のひとつだった。


もっと大人になったら、こんな帽子が似合う女性と恋愛ができるだろうか。
恥ずかしいが、その頃はそんなことも考えていた。


いろんな夢を抱いていた気がする。

そしていくつかの夢は叶い、いくつかの夢はまだ叶っていない。


おもいでの夏。
それは「夢の続き」なのかもしれない。





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「そのゲームはいつ終わるの?」

「わからない。いつも途中で中断しては、またその途中から始まる。」

「終わりがないってこと?」

「いや、いつかは終わりがくる。自分がそこに浸っているだけで、
 やめようと意識すれば、そのときが終わりだよ。」

「そうしてゲームに浸っている時間に大切なものを失っていると思わない?」

「そうだね、失っている時間は多いと思うよ。」



自分は無意識のうちに時間を無駄にしているのだろうか。
そんな会話のあと、スパイラルに迷い込んだような空白の時が過ぎる。


休日の午後、カフェから赤いスポーツカーが見える。



ひとは時として快楽の迷路に迷い込む。
そしてある時は静から動への欲求にとらわれる。


自分の心にスポーツカーは存在しているだろうか。



今日という一日をどう生きるか。

求める一枚の写真は、そんな一日の何処かで待っている。





 【No.115】左岸の朝  2017/08/23 (Wed)
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「こんなにも長い間共鳴し合えたこと、
 それだけですでにすばらしいことなのだ。」

シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉だ。
それはサルトルというかけがえのない人物に捧げられたことは
言うまでもない。


自分はこれまで写真について何かに共鳴してきただろうか。
思い返すと、何より共鳴してきたのは陽の光だったような気がする。
とりわけ朝の光は、想い出深いものが多い。



左岸の朝。
畑仕事に向かう人のように早朝ホテルを出る。
重い荷物を抱えながら歩くパリの街角。

柔らかな陽の光が、
これから始まる一日を優しく迎えてくれる。




 【No.114】Le Pain  2017/08/17 (Thu)
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香ばしく焼けた、ひときれのパン。
お米が主食の日本では、パンの焼きたてを食べる機会は未だに少ない。


パリでは朝からパン屋に行列ができる。
焼きたてのパンを求めて、普段は我慢するのが嫌いなパリっ子が
このときばかりは大人しく並んでいるのが痛快だ。


店によっては東京のパン屋も十分においしくなったが、パリで食べるパンとは
根本的なレベルが違うような気がする。

このことは逆の立場を考えれば分かりやすい。
お米なら電気釜ではなく、昔ながらの大きな鉄釜で。
ゆすぎは慎重に、水はきっちりと計量。
選んだ米を使用して、少しかために。
パリでこうした白飯を口にするのは難しい。

パンであれば相当の注意点があるはずだ。
しかもパン屋によってはそれぞれレシピが違う。


何はともあれ、美味しく焼けたパンを食べる幸せは何物にも代え難い。
まずはその甘い香ばしい香りと、焦げる手前の表面の色だ。
そして樹皮のように硬い外側に反して、
内側のコットンのような歯ごたえと弾力のある中身。
ひときれ口にした際の、鼻から抜けるような微かに温かい穀物の湯気。
これこそが美味しいパンを味わう瞬間かもしれない。



今朝の我が家の食卓では、トースターで焼かれた食パンが待ちかまえていた。
もちろん、ごく普通に。




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アンリ・カルティエ・ブレッソンが撮った
「雨の中のジャコメッティ」。
パリの街を傘もささずコートをかぶり歩くジャコメッティ。

自分も雨の中、彼を見ていたような錯覚におちいる。
芸術家の人柄と存在感が記された一枚だ。



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展覧会場を出て中庭から空を見上げた。
雨が降っている。
先程まで感心して観ていた絵ではなく
いくつか別のことが想い浮かぶ。

イギリスの片田舎で
雨の中をBarbourのコートだけで歩いた記憶。
長時間雨にさらされることが
どれほど体温を奪うのかと思い知らされた。

若かりし頃、
雨は今より冷たく感じていた気がする。
肌で感じる雨粒が確かに冷たかった。
いまでは細胞が鋭敏さを失っているのかもしれない。




「肌で感じる」

そんな作品に出逢えたら、
幸せだと思う。





 【No.112】 Moon River  2017/08/01 (Tue)
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欲望の底にある虚栄心
それは一握りの幸せかもしれない


何台かのカメラを手にしても
まだその先に別の世界があると信じて
更に別のカメラに心が動く
レンズも同じだ


本当は一台でいい
レンズも一本でいい
ひとつのカメラが自分の眼となり
身体の一部となりさえすれば


そう信じている一方で
まだ見ぬカメラを追い続けている

わずかな幸せと別の世界を夢みて





 【No.111】Seesaw  2017/07/19 (Wed)
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ひとりで遊ぶことの多かった自分は、
子どもながらにこの遊具に興味をもてなかった。
というか、あまり乗ったことがなかった。


誰もいない公園でシーソーを見つめる。


軽い方が上へ、重い方が下へ。
当然だが、それは重力を目で見るということだ。
現実を直視するような「力」というバランス。

数値化、基準、評価。社会で必要とされるものには数字がともなう。
見方によっては競争社会での「振り分け」ともいえる。


一方で写真や絵画は数値では計れない。
もちろん売ることで評価額は決定するという見方もあるが、
売ることを目的としない作品があるのも事実だ。


作家は作品を通してどれだけのメッセージを伝えることができるか。
目に見えない「心の中のシーソー」を傾けることができるかが重要だ。



公園のシーソー。

恋人達なら、こんな楽しい乗り物はない。
相手がいれば、今でも恥ずかしがらず乗ってみたいと思う。
自分には訪れそうもないシーンだが。




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フランスの店では外見でお客を判断することが多いとよく言われる。

「見かけは大切」というのは世界共通なのかもしれないが、現代においてはTPOは別にして、そうした見方は少なくなりつつある気もする。



先日「おとなの恋の測り方」というフランス映画を観た。

この映画は外見でひとはどれだけ物事を判断して、それよって左右されてしまうか。という誰もが陥いる先入観と、それをうち破り克服する大切さを「恋」という題材で物語っている。

わかりやすいストーリーだが、そんな中に私たちが普段の生活でどれほど偏見を抱えて暮らしているかと反省させられる。



見かけと中身は別。確かにそういうことである。
写真はどうだろうか。見かけだけだろうか。
中身は感じられないだろうか。

外側にある見えるものと内側にある見えないもの。
それらをどう表現できるかが求められる。

自分には写真の中身が見えているだろうか。




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それは魔女の囁きだろうか。
通過するひとや車の流れに、微かな笑みで誘いかける。


パリ16区 ロンシャン通り。

ここは教会ではない。
ましてや自らを懺悔する場所でもない。
それでも通りすがりの私たちに何かを咎めるかのように、
その婦人の彫刻は語りかけてくる。

アパート階上には普通に何人もが暮らしている。
はたして毎日此処を通りぬける住人はどんな気分なのだろうか。

しばらくすると、身なりの整った年配の紳士が扉から出てくる。
いつものことなのか、入口の彫刻など気にかける様子もない。


もしかしたらこの婦人の彫刻が話しかけているのは
限られたひとだけなのかも知れない、そんな気がした。
だとすると彫刻は自分にだけ語りかけているのか。

近寄ってじっくりと彫刻に視線をおくる。
アールヌーボー様式の草花が婦人を囲み、
表情は沈黙するかのように遠くを見据えている。



夕刻近く撮影を終えて、その日は足早にホテルへもどった。
帰り途中、地下鉄で婦人の顔が脳裏に浮かぶ。

建物に婦人が来て既に100年以上経っている。
これから先、変わることが無ければ数百年はあの場所で微笑んでいるかもしれない。

そう想うと、孤独な石の婦人にまた会いに行きたい気がした。




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夏の休日に
裸足で聴くガーシュウィン


午後四時のヴィシソワーズ

よく冷えていることが大切である
器もまた同じだ

滑らかな口あたりと
野菜の奥深い甘さ


冷たく白いビロードが
身体のなかへ溶けていく





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ふとしたきっかけで
食器棚にしまいこんであった一客の器と再会した。


シリーズ名は「インドの華」。
ハンガリーを代表する1826年創業、ヘレンド社のカップ&ソーサーだ。

細くひかれた曲線がインドに咲く美しい花々を描き出す。
その神秘なまでの異国情緒は、一杯のお茶と共に多くのひとを魅了してきた。
ヘレンドに多額の投資をいとわなかったロスチャイルド家の人々は、
誰よりもこの器を愛していたに違いない。


ブランドの印象とは不思議なもので、古くから変わらず造られてきた製品には
何かそこに特別な重みを感じてしまう。

それは過ぎ去った時間の重みなのだろうか。



そういえばこのカップでまだお茶を飲んだことがなかった。

雨上がりの朝、インド高地から荷車に積まれ運ばれた季節の花。
滴が残る葉の隙間から漂う甘い香り。

湯気の向こうに、そんなが情景が浮かぶかもしれない。





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そこへ映るのはただの風景にすぎない。
だが自分の求めるもうひとつの世界がそこにある。


ハーフミラーのように景色が重ねられた窓。

普段なら歩くひとや車の流れが映し出される。
海辺の街なら水平線が映るだろう。


窓の向こう側から光がささやく。
何十分の一という瞬きで自分も応える。


手を差しのべても届かない距離と時間。


ふと気づくと、窓をじっと見つめる自分に
店の中から店主が笑顔で反応している。

向こう側にある、もうひとつの現実世界。

こういう時は苦笑し、その場を取り繕うしかない。





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パリ セーヌ川。

ここでは数々のドラマや映画が撮影された。
そして脇役として活躍した役者たちが今もひっそりと暮らしている。


鳩。フランス名はpigeon.

ときおり彼等は役者の仕事をこなし、普段は自由に過ごすのが日課だ。



芝居では監督の指示などいっさい受けず、移動したいときに自由に翔び立つ。
その気ままな演技が作品に効果をもたらし、多くの名監督に使われてきた。

私自身もここで数羽に演技してほしいと依頼したことがあったが、
その場でなかなか承諾してもらえず惨敗した記憶がある。


そんな彼等も観光客には弱いらしく、わずかなポップコーンでうれしそうに集まり、おどけた表情で踊ってみせる。まったくの気分屋だ。




陽が傾くと、舞台袖の樹木に身を寄せて静かに休んでいる鳩たち。
次回撮影では素直に出演してくれるだろうか。


シルエットの彼等から微かな笑い声が聴こえる。





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望むでもなく夏がくる。

そういえば空から「もうすぐです」と
雲が云っていたのを思い出す。



通り過ぎるひとの波をくぐりながら、
原宿の街を彷徨い歩く。

自分は何処へ向かっているのだろう。
インパラの群れのなかを年老いたチーターが歩いている気分か。



喧騒を避けて大通りから路地の住宅街へ。

モダンなコンクリートの建物前に薔薇が咲いていた。
・・・今日という一日が、優しい香りにつつまれる。



しばらく歩き、カフェでひと息つく。


アイスティーに浮かぶ大きめの氷が、
ゆっくりと来る夏に溶けていく。






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普段は食事についてこれといってこだわりはない。

嫌いな食材も特にない。
まあそれはそれで良いことだが
「何か食べたいものある?」と聞かれると、
「なんでもいいよ。」と相手に面白くない受け応えをしてしまう。
食事を楽しもうという時に、これはない。
いつも失言を繰り返してばかりいる。


ひとりの時間。
朝食をとった後しばらく何も口にせず夕刻をむかえる。
風の心地よい季節、シャツ一枚で身軽に外出する。

こんな時には食べたいものがひとつだけ浮かぶ。
ステーキだ。香ばしく焼けたミディアムレアのステーキだ。

まずはグラスワインで口を軽く潤し、よく切れるナイフで肉を少し大きめにカットする。
切り口はブラウンからワインレッド、そしてコーラルピンクへと変化している。
フォークに肉の重みを感じながら、ゆっくりと口に運ぶ。

その瞬間は何の言葉を発するでもなく、じんわりとただ時間をおくる。
本当に美味しいものに出会ったときは、言葉などいらない。
ただ噛みしめるだけだ・・・。

200gの食材が運ぶ幸せ行きのチケット。



休日の夕暮れ。
そんなことを考えながら、ふと財布を見直す。
カレーうどんでも十分幸せになれそうだ。





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私は勤勉ではなかった。
それは今でもあまり変わってはいない。

図書館に通うひとたちや、図書館名のラベルが付いた本を読んでいるひとを見かけると、心の何処かにコンプレックスを感じていた。

今にして思うと街の本屋にばかり通う自分にとって図書館に並ぶ蔵書の一群は、
その秀でた雰囲気が自分から距離を感じさせる場所だった気がする。

小さい頃の自分は好きな本があると、買って手元に残したいという気持ちが強かった。そんな気持ちから「本を借りる」という行為に抵抗があったのかもしれない。



図書館で本棚の片隅に佇むひとりの少年。

ファインダーを通して不思議な回想が自分をつつみこむ。
もう一度あの頃にもどれたら、今は別の自分になれたのかもしれない。


カメラから目をはなすと、そこにはもう少年の姿はなかった。

彼は自分が憧れたもうひとりの自分だったのかもしれない。






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長編小説で、結末がはっきりと明示されていない作品がある。

物語が全て起承転結で終わるとは限らないが、
それは人の一生も同じような気がする。


まだ次のページがあると信じて生きる。
だがおおむね道半ばにして一生は途絶える。

それが自然の摂理かもしれない。



今日そして明日の時間を普通に生きる。
普通のことが普通に終わる。

本当は普通のことなんか何もないと思いつつも
日々をおくる。


それぞれがたどる物語がそこにある。





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ひとつの風景が100年そのままで残されることは少ない。
建物や壁など部分として残ることはあっても、
それを取り囲む「風景」として捉えた際には変化が余儀なくされる。

自分が撮影した場所も、わずか10年足らずのあいだにいくつかその背景を
変えてしまった。時の流れは誰にも止めることは出来ない。
無力な傍観者には、その風景を記録として残すしか手だてはないのだろうか。


Rue Gustave Geffroy
その場所は織物で有名なゴブランの建物裏手にある 。
パリにある私の好きな「通り」のひとつだ。

通りは緩やかにカーブしていて、静かで人影も少ない。
曲がり角の向こうには白い女王と呼ばれたお姫さまの城跡がある。

晴れた日の午後、この通りの手前に三脚を立て撮影前に深呼吸をする。
木の葉を揺らす風。そのひとときが、自分には至福のときだ。
この場所に出会えて良かった、こうしてまた会えて良かった。
その気持ちは不思議なくらいピュアで内側から身体全てを包みこむ。


撮影当時は右手壁の向こう側が緑で覆われていて安らいだ雰囲気を演出してくれていたが、最近のストリートビューで見ると、その緑の敷地にモダンな新しい建物が建ってしまった。
こうした注目されにくい場所が姿形を変えてしまうのは、残念で仕方がない。


私たちには見ることができない100年後の風景を想う。
残されるもの、消え去るもの、形を変えるもの。
その時々の風景に寄りそって私たちの生活がある。


今を生きる自分たちに必要なのは、今を見つめることなのかもしれない。




※No.100ということで100年後の風景について考えてみました。
このブログも、私自身も、読んでいただいている皆さんもいない100年後。
それぞれが生きた証を何か残せたらいいなと思います。





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