back to TOP

admin |  RSS
img268a(オリジナル)🌟

「すみません、助けてほしいのですが」
私は通りすがりの若い男性に片言の英語で声をかけた。

相手の返事を待たないうちに、私は教会の入口にあるスクーターに駆け寄った。
スクーターはロックされていて持ち上げなくては動かすことが出来ない。
前輪側を抱えた私は男性に後輪側を持ってもらえるように目配せする。
事の顚末を理解しないまま男性は一緒にスクーターを持ち上げてくれた。
途中男性が「これはあなたのスクーター?」と声をかけてきたが、
私は「ノン」とだけ言いそのまま引きずっていく。
ふたりで力まかせにスクーターを20メートルほど先の場所まで引きずった。

やっとのことでスクーターを移動した後、彼に「ありがとう」とお礼を言った。
そして自分の三脚にのせた8×10のカメラを指差す。
ここまできて彼はようやく自分が何のためにスクーターを抱えさせられたのか
理解したようだった。
撮影したい画面にスクーターがあり、邪魔だったのだ。
私は頭をさげながら彼に微笑んだ。
男性もまた苦笑しながら、ひとこと「グッドラック」とその場から去っていった。


この写真を撮影する5分前、そんなことがあった。


そして撮影後、私はその場に立ち尽くしていた。

・・・スクーターをもとの位置にもどせるだろうか。




 【No.98】Robert Capia  2017/04/15 (Sat)
img008🌟

2012年10月にパリでひとりの人物が他界する。

名前はロベール・キャピア。1934年マルセイユ生まれ。
パリ右岸にあったアンティーク人形店の店主だ。


当初は役者を目指していたが断念し、1966年からパリ右岸のパッサージュ、
ギャルリー・ヴェロ・ドダへ店をかまえた。

アンティーク人形に特化した彼の店は人気をえて、
俳優や政治家の友人たちで賑わっていたという。

そんな中で特に仲の良かったひとりの女性が頻繁にこの店を訪れている。
女優のカトリーヌ・ドヌーヴだ。
彼女はこの店のファンで、時間のあるときは店員の真似事をして
客を驚かせていた。


そんな逸話のあるこの店も2004年には終わりを告げることになる。
それから8年後、彼は還らぬひととなった。


ロベール・キャピアが人形とともに追いかけた夢。

今はなきこの店にはパリのエスプリが詰めこまれていた。


私たちの未だ見ぬ世界で、今頃彼は人形と戯れているかもしれない。




●R0012825🌟


パリにはかつて沢山のパサージュが存在していた。
建設され始めたのは1800年前後のことだ。

ほとんどは改修されて姿を消しているが、
今でもいくつかのパサージュは現役でその役割を果たしている。


パサージュ・ジュフロワとヴェルドーは
その中で今も当時の面影を残す琥珀のような存在だ。

ふたつのパサージュは小さな階段で左に折れ曲がり繋がっていて、
通りの突当りに掲げられた時計の上には竣工した年の1846という数字がある。
この数字が物語る長い年月に感動せずにはいられない。


ひとが求めているのは新しいものだけではない。
デジタル時代にこの場所を訪れると、そんなことを考えさせられる。


夕暮れのパサージュに集う観光客。

100年前も同じ光景が見られただろうか。




●R0015397w🌟


時は儚く、時は繰り返される。

それは意図せず私たちの前に現れる。


看板の外されたレストラン。

ひとつの店が時代と共に終わりを告げる。


この店の灯がともっていた頃に時間をもどせるなら、
アールデコのドアノブを引いてみたかった。


心の中でピアノの優しい調べが右岸の片隅をつつむ。





R00384633🌟


あの日の渋谷も雨が降っていました。


送別会の夜、ふたりで交差点を並んで歩きましたね。
どんな話をしたか思い出せませんが、ふたりとも大きな声で
笑っていたのを覚えています。

あれから街も随分と変わりました。


あの頃にはもどれませんが、
過ぎた時間はみな美しく感じます。


あなたの好きだったスティングが
いまラジオから聴こえています。




●img043🌟

パリの地下鉄はセーヌ川の地下を渡り右岸と左岸を繋いでいる。
ちょうどその中間にある駅がシテ島のCité駅だ。


数十年前に初めてこの駅に降りた時、まるで迷宮へ降りた感覚に陥った。

鉄の素材が地下空間へ伸びる冷やかな感触。
開業は1910年、世紀末のデザインが結実した頃だ。

地下の大空間は、見方によっては舞台装置のようにも見える。
大きな階段からドラマの主人公が登場しても不思議ではない。


開業から数十年後のパリ。
ナチス政権下では地下空間がレジスタンス運動の拠点となった。
現実のドラマがパリの地下で展開されることになろうとは
誰も想像していなかったことだろう。


パリの建物に使われている石は地下から掘り出されたものが多いという。

全ては地下から始まっている。

そして未だ見ぬ地下の迷宮がパリに眠っている。





img811🌟

東京の繁華街、駅に面した花屋の前。
人を待つ間に花をぼんやり見る時間が好きだ。
何か温かな心に包まれるような気分に浸れるからだろうか。


一枚の写真がある。
ハンガリーのクーセグという街の道端で無造作に売られていた花たち。
値札には20フォリントとある。

カーネーションが微笑みながら自分に話しかけてきた。
「何処から来たのですか。あまり見慣れない顔ですね。
もう何時間もこうして此処にいるので、少し疲れました。
どなたかそろそろ私たちを連れ出してほしいのですが。」

旅行者の自分は残念ながら願いをかなえてあげられなかった。

近くに売主がいたのかその時はわからなかったが、
その素朴な風情にしばらく見とれカメラを向けた記憶がある。


カーネーションをハンガリー語で「szegfű」という。


あの時はまだ彼等の名前すら知らなかった。





 【No.92】Trabant  2017/03/05 (Sun)
326🌟

小さな車が、その場所に静かに停車していた。
1993年、ハンガリーの田舎町で撮影したトラバントの姿だ。

当時のハンガリーでは普通にこの車を見かけることができた。
というか、少し古さを残していたがまだ現役だった。

この車の後ろに馬車が並んで停まり、馬が車を食べていた。
現地に住む知人からそんな笑い話を聞いた。

製造末期に品質が下がり、プラスチックに紙パルプを混ぜて使われていたことから「ボール紙製の車」と言われたからだ。


この車の素朴で実直な姿を見ていると、学生時代に東北の田舎町で一緒に遊んだ
友人を思い出す。不器用で何かに秀でているわけでもない。
ただ側にいて、その日あった話をするだけで妙に安心した。
あまり口に出さなくても心の中で繋がっている、そんな存在だった。


東欧の何処かで、まだ元気な姿で走り回っているだろうか。
トラバントにまた会いたい。



※1958年から1991年まで生産された旧東ドイツ製の車。
「衛星」を意味するその名前は1957年に打ち上げたソ連の人工衛星
「スプートニク」から命名されている。






P2190041🌟

土曜日の午後、駅に近い行きつけの店で遅いランチを食べて、
その後スターバックスに駆け込む。


何処でもいいのだけれど、wi-fiが繋がることで
youtubeの音楽が楽しめるからだ。

暫くしてそれにも飽きると、ipadにストックしている曲を聴く。

過去に撮った写真を見直しながら、サイモン&ガーファンクルがイヤホンから流れる。こういう時のコーヒーは少し苦いほうがいい。


店内にいるほとんどの客はパソコンか携帯を凝視している。
時折気になった事柄を検索してみる。
前の検索履歴に思わぬ言葉が出てきて、ひとり苦笑いする。



都会のサナトリウムで習慣ともいえる時間。


ミセス・ロビンソンが聴こえはじめた頃、
窓の外でうっすらと雨が降りはじめた。




 【No.90】未完成  2017/02/13 (Mon)
R0015196w🌟

完成されていない作品。

それらは私たちの前に現れることは稀だが、
作家によっては数多くの作品が未完で残されている。


ミケランジェロの「ピエタ」は4点が現存しているが、
その中の3点は未完で終わっている。
これは何を意味しているのか。


作家は無論、作品を完成させることに心血を注ぎのぞんでいる。
ただそこには終わりがないというロジックもある。

「未だ何かが足りない、未だ何かを削れる。」
こうした葛藤が続く限り、作品が完成をみることはない。

作品に付きまとう終わりのない旅。
その旅の終わりは作家自身にしか計ることはできない。



私たちの前に残された未完の作品たち。
未完ゆえに表現される戸惑いと強さ。

そこには簡単に読み解くことのできない、
作品自身が放つ本質があるような気がする。




 【No.89】白い世界  2017/02/04 (Sat)
R0010092🌟

東京を出てまだ1時間もたたない頃。

ぼんやりとしていた自分の目の前に忽然として白い風景が現れた。
田畑も屋根も林も、遠くに連なる山の峰もみな白い衣に覆われている。

モノクロームに映る現実の世界。


何年も前に冬の北海道で遭遇した風景が蘇る。

それはやがて、あらゆるものを全て白く覆いつくしてしまうかのような、
そんな景色だった。
大きな木立ちの奥にあるのは別の世界かもしれない、そう感じた。
ひとの声、風の音さえも白い吸音材の中へと消えていく。

次の世界への通過点。

あのままカメラを片手に進んでいれば、
もしかしたら別の世界が見えたのかもしれない。



東京にもどり、日常の世界へ。
バスに乗り合わせた子供が手にしていたゲームは、
いとも簡単に次のステージへ進んでいた。




○img053P_Fotor🌟


「おまえは何処に行きたいんだ。」

「おれはこのあと美味いものが食えるなら、何処でもいい。」

「そうか、でもこの地図じゃあわからないな、レストランは載ってない。
 まあいいさ、ともかく街外れがいい。安くて美味い店があるはずだ。」


 もちろん二人の会話が聴こえたわけではない。
 昼時前、私も腹がへり、そんなことを考えていた。





R0015418w🌟

ドーヴィルへはここから列車にのる。
私自身は行ったことがない。

そういえばクロード・モネはこの駅のホームから絵を描いている。
その頃はまだ蒸気機関車が走っていた。



街行く人々は何かに追われるように足早に去って行く。
仕事の途中なのか、これから目的地まで移動するためだろうか。
空気の冷たさが身をこわばらせるのか、うつ向き加減に前を通り過ぎる。

今日が何日なのか、すぐに浮かんではこなかった。
仕事のこと、それさえも頭をよぎらなかった。

こうしてこの場所に立っていること。
それだけだった。

頭と身体のハードディスクに、この場所の空気が刻みこまれる。
何年か後には、その記憶も引き出せなくなるのかも知れない。

駅から発つ列車のように、この場所から離れる必要があるのは確かだ。


空には、幾筋かの飛行機雲が見えていた。
その日は帰国する何日か前だった気がする。


時間と場所を時折再生する。

午後2時10分 サン・ラザール駅。





 【No.86】境界  2016/12/28 (Wed)
R0015175w🌟

境界にほど近い一本の道のり。
フェンスや目に見える塀などはない。

パリ市内の境界まではわずかの距離だ。
地図で確認するとパリの境界をしめす太い線が
すぐ近くに記されている。


時折、環状に走る電車が行き過ぎる。
ひとはまばらで静けさが雨上がりの街を包み込む。


繋がる地。

ひとはそれでも境界をつくり、何かを確かめ合う。


テレビでは国の境界を乗り越える難民が映し出される。
受け入れる人たちと、それを拒む人たち。


2016年から2017年へ。
繋がる時間の境界までは間もなくだ。





img046-2🌟

サクレクール寺院がある小高い山、パリ モンマルトル。

見晴らしの良さだけでなく、数々の画家たちが住み画題となったことも
人気のひとつだ。


このモンマルトルで働きそこに住むひとたちにとっては、どんな場所なのか。

生活にはこの急斜面が苦になることもあるだろうし、歩き通うには辛い道のりだ。

それでも高台からふと眺める街並みは、自分の歩みを振り返る際に
役立つかもしれない。
恋愛に悩んだとき、家族と別れ辛いとき、これから先の生き方を考えるとき。


遠くを見つめる。こころを打ち明ける。


今日もこの場所に人が集う。
そしてモンマルトルで語りあう人たち。





R0016182🌟

フィギュアスケートの競技に「アイスダンス」がある。

シングルの競技ばかりが注目されがちだが、ふとしたきっかけで見たアイスダンス上位ペアの演技に目を奪われた。

ふたりが同時に滑りながら回転するツイズル、頭上高く持ち上げるリフト。
そこにあったのは「舞う彫刻」のようだった。


エドガー・ドガが言った言葉を思い返す。

「踊り子そのものを描こうなどとは、ついぞ考えたことはなかった。
興味は彼女たちの動きを表現することと、美しい衣装を描くことだった。」


写真の世界で動きの表現は、何千分の一秒という最新のカメラをもってすれば動きを止めて撮ることは容易いことだが、それだけではない気がする。

光、感情、ポーズ、アングル、温度、スピード、それらが一体となった対象を捉えなければ、動きの表現には到達しない。


アイスダンスと動きの表現、それには究極のツイズルが必要なのかもしれない。





img052🌟

セーヌにかかる芸術橋が静けさを向かえる頃、

今日も恋人たちや仲間がそれぞれのひとときを分かち合う。



月のきれいな夜だ。



ひとのシルエットが音符となり、橋は五線譜に。

光景が奏でるアダージョ。



カメラを置いて、私はしばらくその演奏に聴き入っていた。




 【No.82】鳩の家  2016/10/23 (Sun)
img578🌟

その家はパリ20区、Porte de Montreuil駅にほど近い公園の入口に佇んでいる。
それは決して小さいとは言えない「鳩の家」だ。
しっかりとした作りの箱で、太い一本の柱がこの家を支えている。


幼い頃、自宅で小鳥を飼っていた。
鳥籠の中にシュロで出来た巣を入れていた事を思い出す。
鳥には家が必要なのだ。


さて鳩の家はいつ頃からあったのだろうか。
作りからしてそれほど古いものではないが、そうでないとすれば、作り替えられたものかもしれない。
いずれにしても鳩たちにとって安住の家であることにかわりはない。

ここにも世代交代や争いや家族の温もりがあるのだろうか。
家の中のことは鳩たちにしかわからない。


まだ早い朝のひととき、鳩の家から一羽が飛びたった。
ほかの数羽は全く無関心にくつろいでいる。

外出するものと身動きせず身体を休めるもの。
一見ばらばらに見える鳩たちだが、
日曜日には一緒に教会へ行くのだろうか。





R0012694🌟

商店街で育った自分には本屋という存在が身近かだった。
家の隣りが本屋だったからだ。暇さえあれば本屋へ行くという日常で、
幼い頃から自分は相当な時間を本屋で費やした。


インターネットなど無かった時代、本屋で過ごす時間は
夢中になれる時間だった。
立ち読みで文章を読むことはあまり無かったが、
写真や図録を次から次へと見ることは、今にして思うと
いろんなWEBページを見ていくのに近かった気がする。

動物や昆虫、乗り物など好きなものは大体決まっていたが、
気にいった図録があると、同じ本を何度も見ていた。
今では写真に関連した書籍をのぞくことが多い。


パリに行くとよく行く老舗の写真集専門店がある。
ここへ行くと何冊かまとめて買ってしまうので、
毎度、重い荷物を後悔してしまうはめに陥る。


パリで本屋の隣りにあるホテルを探してみようか。





R0015242w🌟

19世紀末、時代は鉄やガラスの資材が建築家たちを刺激し、ひとつの様式が創り上げられた。

「アール・ヌーヴォー」の旗手、エクトール・ギマールが残した数々の作品。
現存するものは残り少ないが、パリの地下鉄入口にある鉄製のアーチに誰もが一度は目を留めた記憶があるはずだ。


パリ16区にある6階建てのアパートメント「カステル・ベランジェ」はギマール28歳の代表作で、パリ初のアール・ヌーヴォー建築として今もその姿を残している。自然回帰ともいえるその佇まいは、安堵感と共に恐さも併せ持っている。


同じ地区にギマールのアトリエ兼自宅として建てられたHotel Guimardがある。
こちらは石に刻まれた曲線に鉄の植物がアクセントとなり、控えめな装飾に好感がもてる。

その住み心地などは知る由もないが、パリを森に例えて、大きなツリーハウスのようなイメージを想像してしまうのは自分だけだろうか。


この場所でギマール自身がアール・ヌーヴォーにどれほどの夢をみて創作していたのかと考えると感慨深いものがある。





Template by :FRAZ